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伊勢新九郎、長享元年十一月八日

使用したAI Dalle
※2023年12月12日作成

機動警察パトレイバーの作者として知られるゆうきまさみ氏が戦国大名の先駆者的存在、伊勢宗瑞の生涯を描く大河漫画、ビッグコミックスピリッツにて隔週連載中の「新九郎奔る」は遂に、「あの」長享元年十一月九日を迎えようとしています。

今川龍王丸(後の氏親)の叔父伊勢新九郎盛時(後の宗瑞)による駿河守護職奪回クーデターは、その詳細がほとんど不明ではありますが、

黒田基樹氏を筆頭に、近年飛躍的に進歩している宗瑞や今川家についての研究考証をご存じの方であればピンとくると思いますが、現在発見されている史料の範囲で「長享元年十一月九日に何が起きたか」だけははっきりしています。

そう、「あの男」の命日だけは確定しているのです。

それ以外のことはほぼ全くわかっていません。 (※範満派残党の掃討戦が、その後も一定期間続いていたことはわかっている) 

だからこそ、ゆうきまさみ氏がその史料の空白エリアをどう整合性をつけて描くか、期待大です。

尚、20世紀までは下克上の代名詞的に語られてきた宗瑞ですが、近年の研究ではその姿はほぼ否定されています。

近代以前には「成り上がりの素浪人」等という極端な解釈すらありましたが、新九郎の出自が室町幕府の中枢にいた伊勢氏一門であること、彼自身も九代将軍義尚十代将軍義稙の側近を務め、幕府の中枢にいた高級官僚であったことは一次史料から確定しています。

また「下剋上の典型」と言われた足利茶々丸の討滅と伊豆国奪取も、現在では主に管領細川政元との連携に基づき、室町幕府の公的な承認を得ていたことが有力視されており、「幕府の承認を得て、堀越公方家を簒奪した謀反人茶々丸を討つ」という大義名分を得た公の戦として「下剋上」等では全くなかったこともわかってきています。
(新九郎が、京で室町幕府の官僚であると同時に伊豆の堀越公方、茶々丸の父である足利政知の奉公衆も兼任していたことを考証した点も黒田氏の大きな研究功績)

歴史学もまた常に進化し続けています。

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