キツツキハルノグ『悪〈役姫〉と執〈事侍は〉生欲の塊墜ちる』【ニャンノ世界】
常人の視点で見れば、彼らの行動は
社会の規範を大きく逸脱しており、
それは言い換えれば、変態、あるいは
異常性癖が生み出した尻物が誕生する
大きな出来事であった。
場所はニャンニャンダ島…
常夏で、温暖な気候…
海は穏やかで、病む者らを
健やかにさせるこの島に
悪なりし者らがやってきて、
ニャンニャンダ島のビーチを
混沌にさせていた。
そう、彼らはキツツキ家の主人と従者である。厳密に言えば、その関係性も、変化していて…婚約者同士であるのだ。
パイをプルンプルンと揺らしている
彼女はキツツキハルノグ
マタタビヤ地方にて民を苦しめる(と反乱軍側は述べている悪役領主キツツキノグロウ)の孫である。
豊満なバストは、ノグロウ曰く、祖母のシュンギク譲りで、陰毛や髪型、気質はノグロウ譲りだと言って豪快に笑う。
そして、その息子(ハルノグ父)ノグハレ、ノグロウと比べ無口な印象の父も一人娘のこととなると、「ルナコさんの方が大きい!」とよく祖父とパイの大きさ論争をして、母ルナコと祖母シュンギクに殴られて、痛い目にあっている。
まぁ、ここから分かることは、
ハルノグのオッパイはデカイのだ。
そう、この豊満なバストが
婚約者であり執事侍で幼馴染みで3歳年上の兄的存在のギノジナライの性癖にドストライクしていたのだ。
昔から一緒にお風呂に入るほどで…
ハルノグの下の毛が年を経るごとに濃く、パイはでかくなるにつれて彼の陰茎は毎度勃起する始末…
毎回、垂れることなく勃起してるため、キツツキハルノグがマン毛を剃らないのは、彼を勃起させることにあった。
おまけに脇毛も生やしているのも同様の理由からだった。
つまり、キツツキハルノグはギノジナライのことが好きで彼も彼女の方が好きという相思相愛のカップルなのだ。
で、ケッコンを意識したのは、侍冬地戦が始まる前に抱いたことで…、こうしたきっかけがあって、今は、キツツキ家に賛同してくれるものを得るためにエロビデオを作ってるのだった。
腹が減っては戦はできぬように、
人間、特にオトコというものは、エッチなものがなければ元気がでないものなのだ。
つまり、おかずがないと…ティッシュが進まないのだ。
ゆえに、キツツキハルノグは、反乱軍にはない、よさはエロにある!欲望サイコー!ということで、ニャンニャンダ島のビーチで撮影をしている。
ビデオカメラに映る彼女の裸体
悪役のような面構えからその豊満なバストと下腹部に生える陰毛に、ティッシュがあれば一箱使いきってしまうのではないかという思いを脳裏に抱きながら、ジナライはシコシコしていた。
「ワシの裸で喜ぶのはお前だけかもしれないのう」
「それでも!私はいえ、俺はハルノグの良さを世界に示したい!」
「熱いのう、熱すぎるのじゃ…もう、ワシの穴から液体でちゃうよぅ」
熱々だった。大好きな存在を前にして、
ムダ毛なんて言わせたくない!
むしろ、毛というものは生命力の源であり、原始元来人類というものは、毛によって保護されてきたではないか…今の人類というものは…その逆を、人類を捨て機械になろうとしてるように思うのだ。
キツツキ家が欲望たるものを示す毛たるは、特に陰毛や脇毛たるものは、欲望を示す証であり家紋の如く大事にしてきた。
対して反乱軍の、それこそ、ネオ越夜隊や闇のものはパイパンだから、毛フェチな、ケモナーな時点で毛フェチであるネコノテ司令たちがキツツキ家を支援するのは、毛の大事さを主張する意味も込められていた。
つまり、反乱のパイパンと欲望の毛フェチによる抗争であり、このビデオ制作は、毛フェチな者たちに贈るおかずであり、闘志を漲らせる旗なのである!
一見すると、これは…単なる
性欲処理にしか見えないが、
本質的には侍冬地戦に向けたプロパガンダなのである。
この確固たる信念を、キツツキハルノグは毛に込めて、脇毛に込めてあまたの、体の毛たちを込めてカメラに映っていた。
カメラから見える陰毛と髪の毛、
そして、胸を見て、エッチだなと思う。
ギノジナライはキツツキ家の執事になれて
幸せ者だシコシコと考えつつ、撮影を続ける。
「ジナライ、ワシ、だんだんおしっこしたくなってきたのじゃ」
足をクネクネさせる彼女
あいにく、トイレは遠い…
しかし、彼らはトイレでトイレをするのではなく…野外ですると決めていた。
下剤の効果が、作用してきたのを、
ジナライも感じる。
便意も増して、体内に溜まったものが出てくるのを感じている。
おまけに、服を着てない、加えて、貸し切りの海水浴場での全裸とは開放的な気分にさせる。
しかし、彼の場合は、便意や尿意を抱けど我慢できるのは…硬く大きい棒があるおかげである。
彼女との違いはこのホースがあるからこそ、おしっこにおいて、すぐに出ることはなかった。
通常ならば、おしっこはトイレで出すものだ…そう、通常ならば…
しかし、キツツキハルノグと成すべきは
二人エッチならぬ二人脱糞と二人放尿である。
異なる生殖器をもつ二人が、同時におしっことウンコを出すことで紡ぎだされるものはきっと素敵な旋律が奏でられるだろうと考えていたのだ。
現に、この試み、社会の規範とは異なる異常さによって、脳に命ずる信号は、これだ
「おしっこをだせ!」
とこの脳への信号が脊椎を通して、膀胱へと作用し、それぞれに溜まった尿液が尿道へと流れ、ハルノグが先におしっこを出し、ジナライも肉棒からおしっこを勢いよく出す。
互いの黄色い液体が、海に流れる
ダイナミックに…エロく、互いの陰毛には尿が染み付くことで、醸し出すフェロモンが分泌されてるのではないかと互いに妄想し、恍惚、エクスタシーに浸る。
セックスはせずとも、彼らは互いの異なる性の排尿行為を見て、悦に浸る。
「はぁ、あぁ、気持ちいい…」
ジナライは呟く
カメラは自立式AIとして動いていた。
後で編集するときは互いのおしっこ場面を比較する形で見せるだろう。
もちろん、キツツキハルノグをメインにして、ジナライはサブとして…
メインターゲットはおかずを欲するオトコどもにあった。
オトコどもの有する性欲はすなわち生欲に生きる欲につながるくらいに重要なもので、生存本能に直結する。
性なくばいきられない
何度でも言おう…性欲なくば生きられない!
だからこそ、キツツキハルノグは
おしっこの次に排便をする。
力む彼ら…
それぞれの大腸にあるウンコを、自分自身の残りカスを絞り出していく。
「んっんん!」
ジナライも頑張る…思えば、それは二人の共同作業であった。
別段、排尿や排便は普段の生命活動だ。
しかし、されど、この場における、活動は愛なる信頼関係をもとに行われてるわけで、疑念や不満、嫌悪があったら成し得なかったことだ。
だからこそ、内部にあるものを出せる関係、それこそが愛する存在と言えるのではないか?
だが、常識や理性というものが、そうしたものの邪魔をする。
ウンコはトイレでしよう、おしっこはトイレでしようと刷り込まれる。
社会的に衛生観念的に正しい、だが、生きる欲において、そうしたことをトイレでするというルールを守ることが、どれだけ、欲を無くしてるのか計り知れない。
彼らは逸脱者であり、現にぶりりりと、音を立ててハルノグとジナライは脱糞をすませる。
尻から出てきた茶色い物体を見て、
互いのウンコを見やる。
同じ体勢で、スクワッド姿
一方は、お尻の下にウンコが、
一方は、陰茎がないゆえに目の前にウンコを出して…臭いをかぐ。
臭い、どんなに可愛くとも愛おしくともかっこよくとも、ウンコってものは臭いんだと、二人は互いの鼻腔から醸し出す愛する人のウンコを嗅いで実感する。
だからこそ、それぞれのウンコを観察するのが楽しく、ついつい、うれションをしてしまうハルノグ。
「でちゃった…」
この一言に、ジナライもつられて
おしっこを飛ばす
ハルノグの顔にかかる。
「おしっこの味美味しい…」
笑顔を見せる彼女にますます狂気性を見いだしたジナライは…
「ハルノグのウンコ、毛がついてるな」
「ジナライもな…」
互いのケツ毛を見れたようで嬉しくなって照れ笑いを浮かべる。
これは、世界的に、理性の世界においては異常である。
この異常行動たるものは…何とか抑えなくてはならない…だけど、2人の脳は、おしっこやウンコを介して愛を増す。
触りたくなってきたのだ…
匂いたい嗅ぎたい…
食べたいとまではならないが…
強烈な存在に、もう一人の自分を見いだす2人は、おしっこをかけあう。
互いのおしっこに濡れる
ハルノグのウンコとジナライのウンコ
もしかしたら、彼らのウンコたちにも
恋愛関係は生まれるのだろうか。
悪役姫のウンコと執事侍のウンコ
もっと話を広げれば、
この世界の人物はウンコに置き換えて
物語というものを世界というものを構築できるのではないかと…
数多の動物もウンコをする。
人間も動物だウンコをする。
機械との違いは、それぞれ、形、匂い、パターンが違い、個性を生み出す。
遺伝子構造の違いはウンコからも分かるのでは?毛の多さ、身体的特徴、食から見える物語…、その集積物がウンコなんじゃないのか?
シェイクスピアの綺麗は汚い、汚いは綺麗はウンコにも当てはまり、
人類という理性たるものは
ウンコというものを
綺麗は汚いで止めていて、
汚いの裏側にある社会システムの真理を無視してるのではないかと…
脳裏に浮かぶ、彼らから見える
集積物、カスから見える情報媒体ウンコ
2人は、互いのウンコを見て、
生命の真理じみたソレを
見て、まるで、アダムとイヴのような感触を抱いていた。
楽園を追放されたのは、このウンコというものをトイレに流したことにあるのではないかと…
知恵の果実とはトイレであり…
ウンコとは野生たるものを示す証だったのではないかと感じながら、おしっこをウンコにぶっかける。
蕩けていくジナライのウンコが、ハルノグによって…そして、ハルノグのウンコも
陰茎が出る彼の生水によって蕩けていく
形がフニャフニャになって、匂いもきつくなる。
あったかいものを感じる。
それぞれ、異なる遺伝子が尿というえきでそそがれ交わる。
普段は自己で完結するのを…互いに性の異なる存在によって、交わりを果たす。
そのウンコたちは、愛…深い愛によって、
付与されたウンコとなり、一つの生命となる。
注がれたウンコに目が付き、ハルノグの尻の毛を見て「ウンコサイコー!」と叫ぶ
まだ、言語が完全ではないが、この喜びの声にキツツキハルノグは嬉しくなって
「じゃあ、ワシからの祝いの聖水じゃあ!」
と恵みの雨のごとく、尿を飛ばす
「俺も祝うぞ!」
優勝記念のシャンパンのごとく自身の竿を揺らし、ウンコの誕生を祝福する。
「今日から、お主はワシのウンコ、略してワシのコじゃ」
「アイシテルアイシテル」
ぐちゅぐちゅと、2人のウンコは
互いにその言葉を口にして、ぐちゅぶちゅとセックスをするときのような、喘ぎ声をあげて交わっていた。
「俺たちのウンコが繋がってる」
温泉の時を思い出す2人
「面白いのう、この世界は」
ニャンノ世界、不可思議で狂気的なことが起こるのは当たり前だ。
彼らは見守り、自分のウンコの変身を見守る。
常に通常はなく、常に変化している。
流動している。
彼らのウンコは互いに絡み合い
尿によって不明瞭になる。
「あん…あん…あっあっ…」
ウンコたちの営みを眺めながら、
オナニーをする。
「ハルノグ、気持ちいいな…」
「うん、気持ちいい…」
互いの手は自身の性器を興奮させる為にシコシコしていた。
自家発電で体がほてる、ホットホットな状態で、そのまま、果ててしまいそうであった。
その後、ワシのコは一つの生命体となり、ウンコ頭の家臣として、キツツキ家のお世話になる。
ニャンノ世界で農業改革に貢献する傑物となるのはまだ先の話だ。
彼らは生きるこれからも…生命はウンコに行きつく、その逆も然りだということを二人脱糞で知れたのだから…
(猫メモ)
書き終えて思ったことは、
何を書いているんだろう私と思いました。
しかし、もう一人の私は、
こうした作品を書いたことで、また一つ、自分の創作世界に変革をもたらしたのではないかと思い満足しています。
ツッコミ役を脳内に待機させつつ、理性と感性でコントを作ってる感じですにゃ!
(о´∀`о)
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