「陳平よ、滎陽の時のように何とかならぬか」
劉邦がすっかり憔悴しきった顔で、陳平に問うた。此度の戦において上将軍を務める樊噲はじめ、酈商、夏侯嬰、周勃、灌嬰ら諸将も一様に途方に暮れた顔つきである。
そもそも兵糧が絶対的に不足しているのだ。人間腹が減っては戦意もへったくれもない。三十二万の大軍も、飢えてしまっては只の流民と何ら変わりがない。
しかも北アジアの大地の寒冷なること、中原の比ではない。漢の将兵は飢えに加えて次々に凍傷に倒れていった。
...陳平は勿論、必死に打開策を考えている。
そもそも、この惨状に至った経緯においては陳平の責任も大きいのだ。匈奴軍の伏兵や奇策を警戒して兵力を集中させる安全策...の筈が完全に裏目に出てしまった。
冒頓単于は奇策処か、堂々と四十万の大軍を展開し、当時の中華帝国には絶対に動員不可能な規模の騎兵を動員して三十二万の漢軍を包囲したのである。
(この敗戦の後、戦訓を活かした漢帝国は騎兵の育成と軍馬の飼育の為に、大規模な予算と長い年月をかけていくことになる)
四十万の匈奴軍は、その多くが騎兵だったのである。その機動力を前にしては漢の歩兵など三十二万の大軍とはいえドン亀に等しい。
諸将は内心こう思っているかもしれぬ。「子房殿がここにいてくれたら」と。それは陳平にとっては最悪の屈辱であった。
ただ今回、実戦部隊を率いる諸将も表立って陳平を責めることはしていない...兵力を集中させる戦術に関しては諸将も、正統的な用兵として賛同したからであった。陳平一人を責められる筋合いでもない。
それに今は、この惨状の責任がどうこうよりも、この死地をどうやって脱するかの方が重要であった。
そして、幾多の過ちを犯しつつも劉邦という男の偉さは、遅きに失したとはいえ己の失敗を素直に認め、決して陳平を責めたりはしない点である。陳平としてはこの庶民上がりの皇帝の美点がよくわかるだけに、何としてもこの主君を助けねばならぬと思っていた。
(...確かに滎陽の危機の再来か)
陳平は思ったが、考えてみると戦略的な状況も戦術的な状況も、滎陽の方がまだマシであった。
あの時、確かに漢軍も劉邦も絶体絶命の危機に陥ったが、少なくとも河北には韓信軍が健在であり、漢にはわずかながらも余力があった。
しかし今、漢帝国のほぼ全軍がここにいるのである。援軍などどこからも来ない。
また、僅かばかりの兵が平陽救援に駆けつけてきた処で、匈奴軍は四十万である。多少の援軍など来た処で、各個撃破されて匈奴軍の餌食になるだけなのは目に見えている。
漢軍としては平陽で何とかするしかないのである...が、どこをどう考えても、まともな方法での脱出は所詮無理であった。まともな理屈では、どこをどう押しても「ここで餓死か、凍死か、全滅か、無条件降伏か」という結論しか出てこない。そして今回もまた滎陽の時と同様に、平陽の陥落=漢帝国の滅亡と同義であった。
一旦平定されたはずの天下は、また戦国乱世に逆戻りである。劉邦以下漢の君臣は揃って「一時の成功に酔って慢心し、国を滅ぼした稀代の愚か者共」として後世に汚名を残し、千載に渡って嘲笑されるに違いない...。
陳平としては、それもまた耐えがたい屈辱である。
故に陳平は全知全能を振り絞って脱出の策を練っている...そして、今回も結論は滎陽の時と同じであった。
「まとも」な方法では無理である。「まとも」ではない方法を使うしかない。
どれだけ非道外道卑怯な手であっても、そしてどれだけ屈辱的な方法であっても、この場合は皇帝劉邦と漢軍の主力をこの死地から生還させることが最優先であった。
(...俺はどうにも、こういう外道の策を用いる時の方が才を発揮するらしい...)
陳平は自嘲した。
三十二万の大軍を自在に動かして匈奴を破り、帝国の北辺を安定させ、匈奴の侵略に苦しむ民を救い、千古の歴史に英名を残す...事を陳平としては思い描いていたのだが、残念ながら歴史は陳平にそういう華麗な舞台は用意してくれないようであった。
...
その夜、陳平は人払いを願った上で劉邦に謁見した。日中の御前会議では口に出来なかった秘策を上申する為である。
劉邦は、いつになく柔らかい表情で、何か吹っ切れたような顔をしていた。この不思議な男は、死地に置かれると逆に悟りの境地にでも到達してしまえるのか、一種異様な神経の持ち主らしい。
「...人払いを、て事は滎陽の時と同じかよ...お前の事だ。またえげつねえ策なんだろうが、この際仕方ねえ。ここで俺が死んで、漢軍の大半が消えちまえば、また天下は乱世に逆戻りだ。そんな事になっちまったら、天下の民にも、俺たちが今まで殺してきた項羽や敵の連中にも申し訳ねえ」
劉邦は陳平と同じことを考えていたらしい。
そうなのだ。ここで劉邦一人が死んで済む話ではない。天下の万民もまた、再び乱世に叩き落とされてしまう。
ここまで劉邦も、陳平も、そして漢という国も、無数の人間を殺してきた。
それも全て天下を平定し、万民に平和をもたらす為である。
あらゆる犠牲も非道な手段も、天下統一と万民の平和という大義の為ならば正当化できる。奇麗な手の上に築かれた平和など、人の世には存在しない。
平和に限らず、この人の世におけるあらゆる生の営みにおいては、必ず何かしらの、誰かしらの犠牲の上に己の生を存在させている。例外は一切存在しない。自分だけは奇麗な手をしている...等と思い込んでいる人間や国家が存在するとすれば、それはとてつもない無知と傲慢という以外にない。
しかし、あらゆる犠牲を払った上でその平和すら守れぬのでは、皇帝にも漢という国家にも存在する意味はない。
「あの時は紀信に死んでもらって、更には周苛も樅公も殺すことになっちまった...今度は誰を殺すんだ ?」
「...誰も殺しませぬ」
陳平は即答した。
「...そんな都合のいい策があんのかよ ? 」
「誰も殺しませぬが、その代わり陛下、陛下にはそれ以上に、ある意味では死よりも辛く苦しい代償を払って頂きます」
陳平という男はこういう切所の策を進言する時、一種妖気のような異様な気配を漂わせている。...張子房もそういう男だったが...と劉邦は思った。
「...いいぜ、言ってみろよ。このままならどうせ俺たちはおしまいだ、それを思えば何を惜しむことがあるか」
陳平も思った。多くの失敗も犯すが、このようにギリギリまで追い詰められた時、劉邦という男は真価を発揮する。その恐るべき度量、覚悟...と言ってもいい。その生まれながらの王とも言うべき本質を発揮するらしい。
しかし、劉邦は次の陳平の言葉に心底、仰天することになった。
「匈奴に降伏するのです」
「何だと!?」
「馬鹿か、てめえは !? こんな処で奴らに降伏したら結局俺たちはおしまいだろうが !!」
劉邦が激昂するのも当然である...が、劉邦だからこれで済んでいる、と陳平は思う。項羽が相手なら、この時点で陳平の首が飛んでいよう。
しかも、その相手は同じ中華の者ではない、普段、中華の者達が蛮族扱いしている匈奴である。
陳平は儒教の徒ではない。老荘の徒であり、理念だけが先行しがちな儒者とは違い平明に現実を直視できる男だ。だとしても、この時の陳平の思考は、当時の中国人の規範..というか普遍的常識をはるかに飛び越えていた。
「何も、この平陽で降伏する...という意味ではございませぬ。そこがこの策の根幹です」
「詳しく言ってみろ」
劉邦は、もう冷静さを取り戻していた。蛮族(匈奴)に降伏しろ...等と言われて、すぐに理性を立て直せる処も、やはり尋常な男ではない。
「...まず、この平陽を脱出しなくては何も始まりませぬが、純軍事的に匈奴軍四十万の包囲を突破することは無理でございます。我が軍三十二万とは言え、兵糧が不足し、加えて凍傷に倒れる兵が続出しています。遺憾ながら我が軍は今、まともに戦える状態ではありませぬ」
「わかっている。だから、お前のいつもの奇策にかけているのだ。まともにやってどうにかなる状況じゃねえことはよくわかってるよ」
「つまり、この場合脱出の可能性は一つしかございませぬ。我が軍が自力でこの包囲を脱することは無理ならば、匈奴の方から包囲を開けさせるように仕向ければよいのです」
「...何を馬鹿な...と言いてえ処だが、どうせお前の事だ。何か細工のやりようがあるってことだな ?」
劉邦も陳平という男の思考法をよく理解している。
四年前の滎陽の時も、楚軍の内部に働きかけて范増を失脚させた。それと同様に匈奴軍の内部に何かしらの工作を仕掛けるという意味であろう。
「匈奴の閼氏(皇后)には、以前から様々な伝手を通して渡りをつけています。そして、かの者は漢の絹織物などを愛好し、我が漢にも好意を持っていることもはっきりとわかっています。匈奴において閼氏の発言力は極めて大きい。閼氏を買収して冒頓単于に説かせることが出来れば、この包囲を解かせることも出来ましょう...というか、出来ねば本当に我らは破滅ですが」
「匈奴は経済的な利益は求めますが、我が漢土の悉くを征服したいと思っている訳でもありません。遊牧を生業とする彼らにおいては、漢の農地など征服した処で大して旨味はないのですから。その観点から、彼らと妥協することは不可能ではありません」
「...説かせる...と言っても、閼氏を買収した位で冒頓単于の野郎が兵を引くか ? 閼氏だって、いくら金を積まれたからって夫を裏切るようなことはしねえだろう」
劉邦の疑問は尤もであり、理に適っている。買収される、賄賂を受け取る=匈奴を裏切る...にはまずなるまい。いくら漢の絹や各種産物が好きで、その上金品を積まれたところで、閼氏にはそこまでする理由もないのだ。劉邦が死んだところで、漢の絹織物や産物までが一緒に滅ぶ訳ではない。
「だからこそ、最初に申し上げました。匈奴に降伏する...と」
「...なるほど、わかった。お互いに兵を引いた後、我が漢は匈奴に臣従する...とまでは言わずとも義兄弟の盟でも結んで匈奴を兄として立て、貢物も収める...とか約束すりゃいいんだな ?」
「確かに、いくら金を積んだところで閼氏が冒頓単于に兵を引けなどと進言する訳もねえ...しかし、戦の後で俺ら漢が匈奴に頭を下げて従う形で和平を結び、定期的に貢物を差し出す...とでも約束すりゃ、確かに閼氏にも冒頓単于にも利がある...か」
元々、遊侠の出身だけに、劉邦の理解は早かった。そして生まれながらにして士大夫階級の人間には、とてもこんな発想はできまい。何しろ、相手は中華的な常識で言えば「蛮族」である。
庶民にすら、そういう差別感覚はある。
しかし、劉邦という男には不思議とその手の差別感覚が薄いらしく、その寛容さが漢帝国首脳部にも多彩な出自の人間が集まる理由の一つにもなっている。劉邦の儒教嫌いは有名であるが、その儒者ですら漢帝国においては活躍の場があるのだ。
「さすがは陛下です...臣が余人を退けてこの策を進言した理由もおわかりでしょう。匈奴に従う形での和平...などと言ったら、臣はあの場で血の気の多い諸将に斬り殺されかねませんからな」
「...まあ、そうだな」
劉邦は、苦笑交じりに認めた。
中華帝国の皇帝に向かって、匈奴に降伏しろ...などと進言できる人間は普通いない。しかし、そういう規格外の人間だからこそ、こいつには使い道があるのだ、と劉邦は思っている。
そして、至極あっさりと「そう」思える点こそが、劉邦の器であった。
「...しかし、有体に申し上げて仮にも我が中華の天子が、匈奴に頭を下げる形になるのです。陛下は千載に屈辱を書き残されることになりましょう。後世の者が陛下を謗ることは間違いありません...ある意味では死よりも辛く苦しい代償とは、そういう意味です」
近代以前の中国において「歴史」とは、キリスト教における死後の審判のような物だ。
キリスト教徒が地獄に落ちることを恐れるがごとく、近代以前の中国において一定の地位にある者は、後世歴史に悪名汚名を残すことを最も恐れる。
極論すると、中国において王や皇帝が目指す目標は歴史に名君として名を残す事であり、士大夫の目標は忠臣・名臣として名を残すことなのである。逆に暴君や奸臣佞臣として歴史に汚名を残すことは、彼らにとってはキリスト教徒が地獄に落とされることに等しいのだ。
(勿論、そんな事は一切気にしない人間もいるが、原理原則として)
「その程度の屈辱に耐えるだけで、この死地から抜け出せるものなら構うものかよ。劉邦は民に重い税と労役を課して苦しめ、自分だけは贅沢に耽った...などと歴史に残っちまったら死んでも死にきれねえが、中華の天子のくせに匈奴の単于に頭を下げた...程度の悪名や汚名が何ほどのものかよ」
「天子の面子なんぞどうでもいい。俺は項羽の野郎の前でも、這いつくばって命乞いをした男だぞ。まして、冒頓単于の野郎は、項羽以上の英雄じゃねえか。そんな奴に頭を下げて何とかなるってえなら、俺あ喜んで下げてやる...だからな陳平、俺の、漢の面子なんぞこの際どうでもいいから、交渉を何とかまとめてくれ。交渉がまとまるなら、可能限りの金も什器宝物も、匈奴に呉れてやって構わん。今はどれだけの生き恥を晒しても、この場を生き延びる事の方が最優先だ」
...
陳平は、劉邦が「そう」いう男だとは勿論よく知っている。知っているからこそ、この非常の策も進言できた。
しかし、改めて劉邦という男の真価を見て、陳平は感動に震えた。これほど使え甲斐のある主君に巡り合えた人間が、歴史上どれだけいたか。
俺は俺の全能力を挙げて、この男が大業を成す為に尽くすのだ...陳平は、改めて心に誓ったのだった。