救われた世界の、その後は
瓦礫の山と化した高層建築物、無残に叩き潰された芸術作品のオブジェ、根元から引き抜かれ、あるいは幹をへし折られ、灰になるまで焼き尽くされた街路樹。
既に周辺住民の避難は完了しており、無人となった街並みはひっそりと静寂と沈黙の中に横たわる。
聞こえるのは風鳴り、そして破壊の爪痕でまだ鎮火し切ってない火災の名残の火の粉が爆ぜる微かな音だけ。
「では、やはり戦後に損害賠償をヒノイに求めるのは不可能ですか」
「そうしたところで、悪の神とやらに開戦した責任を押し付けられて終わりだ。ヒノイ側の心証を害するだけで何ら意味がない」
高度に発達したフェンテスのネットワークは通信における距離の概念を消失させた。
どこにいようと、ネットワークに接続できる環境さえあればリアルタイムで言葉を交わすことができる。
「悪の神とやらは実に便利な道具ですね。人間のどんな失敗も、どんな悪行も、全ては神の責任にしてしまえばいいのですから」
そして、それはヒノイのみならずフェンテスの側とて変わりがない。
一部の暴走した技術者達がやらかした非人道的な兵器開発や人体実験などの蛮行などをヒノイ側から追及されても、責任問題は全てうやむやにされるだろう。
尤も、断罪している余裕などない、と言うべきかもしれないが。
「損害賠償が出来ないとなれば、戦後の復興に必要なリソースをどこから捻出するか。頭が痛い問題です」
「鎮痛剤が必要かね? それとも、電脳用の冷却ファンの交換を手配しようか?」
「遠慮しておきます。特に、今はそれどころではありませんから」
どこか遠くで爆発音が轟いた。少し遅れて、暴風が駆け抜け、空気をビリビリと振動させる。
悪の神の眷属との激戦は終わってなどいない。今もなお続いているのだ。
世界を救うため、無数の人々が祈り、歌い、戦い、傷つき、血と汗を流している。それは尊い行いだ。その価値は誰が見ても疑う余地はない。
彼ら彼女らが敗れれば世界は滅ぶ。世界が滅べば全ては終わる。だから、終わった後のことは考える必要はない。
――…しかし。ならば。救われた世界のその後はどうなる?
「悪の神がいなくなれば、社会から犯罪は根絶されるか? 経済的な格差からの不平等は解消されるか? ありとあらゆる悪の概念は駆逐され、万人が平和と不死を享受する理想郷になるか? 答えはノーだ。断じてな」
「その通りです。格差の解消は難しいでしょう」
「犯罪根絶もまた然り。真の悪が駆逐されたところで、新たな悪が生まれるだけだ」
善と悪の戦いも、善と悪の対立も、結局は人間の価値観が決めるものだ。
絶対悪が存在しようとしまいと関係ない。本当の意味での『正義』など、そんなものは神ですら持ち得ないのだから。
「まあ、そもそもが不可能でしょう。悪の神がどのような存在なのかさえ未だ判然としないのですから」
子供向けのおとぎ話でよくある結末だ。
悪の化身である魔王だの悪の神だのは英雄や勇者によって倒され、世界は平和になりました。めでたしめでたし。
だが、そんな都合の良い結末は現実では起こり得ない。表面上は平和になったように見えても、根源的な問題は何も解決などしていない。
社会構造という不完全なピラミッドはそれを支える下層の人々に負担をかける。社会全体に負担が分散しているから、皆が我慢しているから、誰もが辛うじて我慢できているというだけだ。
負担があまりに不平等であれば当然、国民は不平不満を貯め込み、いずれそれは爆発する。
人の悪性はなくならない。自分が被害者だと思えば、どんな蛮行でもそれは内心で正当化される。自分は虐げられてきた側だ。だから、その分の埋め合わせをしてもいいはずだ。あいつらは虐げてきた側だ。だから、何をしても許される。
悪は繰り返される。絶対的な悪は存在しなくとも、絶対的な善もまた存在しないのだ。あるのは平凡な、それゆえに尊ばれるべき善性と、どこにでもある、それゆえに唾棄すべき悪性だけだ。
電車の中で老人に席を譲る親切な乗客の隣では、少女に痴漢をする下劣な性欲が牙を剥いている。
それは人の在り方に善悪の概念など関係ないという証明に他ならない。本質的に同量の善と悪が混在するのが人間なのだから。
「幸い、と言って良いものかどうかはわかりませんが、この戦闘が長期化せずに済めば医療分野でのリソースには余裕が生じるでしょう」
元々、生体機械化技術により寿命を克服する恩恵を受けてきたフェンテスの医療分野は他国より進んでいる。開戦当初から防衛戦を主眼に置いていたこともあり、負傷兵への治療に必要な医療分野には多くのリソースが割かれていた。
「医療分野で他国に技術提供をするのと引き換えに、か」
既に一部では機械化されたセントレイクのエルフやシラクレナの獣人、ヒノイのノーマなども存在している。
それらを公的に、大規模にするだけだ。肉体を欠損するレベルで重傷を負った兵の治療を手始めに、いずれは難病の患者治療、先天的に肉体的な障害を抱えた社会的弱者への支援活動として。それらと引き換えに他国から資源を融通してもらう。無論、代価は安くないが、それが無理難題というほどのものではない。
「戦火に晒された人々を救うためにも、フェンテスは人道的な活動には積極的に関与していくべきです」
逆に言えば、それが不可能なほど悪の神との戦闘が長引けば、社会的なリソースの負担に耐えかねた各国は例え勝っても明るい未来図を描くのは困難になるだろう。それは結局のところ緩慢な滅びを招く。
「そして、それは他国も同条件。今は共に戦う仲間ですが、いつまでも味方とは限りません」
今は悪の神という共通の難敵を前にして辛うじて共同歩調を保てているだけだ。長引けば、この足並みも乱れかねない。
「それまでに、悪の神が倒れてくれることを祈るしかないか」
「祈り? 人が造物主であるとされる神に祈るのは、まあ理解できなくもない。ですがAIが何に祈ると? 自己の存在の矛盾を認めることになりますよ」
「ああ、だから違う。祈る相手は別だ」
フェンテスのAIは神を信じない。そんな不確かなものを信じられるはずがない。この世界が不完全に過ぎるのは、そんな不確かで脆いものを信じざるを得ない、そんな弱さがあるからだ。
ならば、AIが祈るとすればそれは唯一つ。
「神にではなく、人類にだ。いずれ訪れる未来のために」
今現在も、戦場で戦っている人類に。
勝利を願い、心を一つにするために歌い続ける人類に。
未来のために、今を戦う人類に。
「そう、彼ら彼女こそが……我々の『希望』なのだから」
呪文
呪文を見るにはログイン・会員登録が必須です。
イラストの呪文(プロンプト)
イラストの呪文(ネガティブプロンプト)
- Steps 35
- Scale
- Seed 2092500374
- Sampler euler
- Strength 7
- Noise
- Steps 35
- Seed 2092500374
- Sampler euler
- Strength 7