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別離其五

使用したAI Dalle
「...だが、陳平よ。卿の言葉から察するに、陛下がもし匈奴に対して長城を越えて攻め込もうとなさる時には、卿の遺言など陛下はお聞きくださらぬという事だぞ...卿の言葉でさえお聞きくださらぬ陛下であれば、俺などが陛下を諌止など出来ようはずがあるまい」

ここまでの陳平の言葉からして、この稀代の智謀の持ち主はその先の事態も想定して策を用意しているに違いない...と、灌嬰は思った。

「...その通りだ...よくわかっているではないか...灌嬰...」

既に死相が浮かんでいる陳平の顔に、微笑のようなものが浮かぶのを灌嬰は見た。まるで不出来な弟子の回答を採点する教師のような表情であった。

「お聞き入れになる、ならぬ以前に、先刻申したように卿が表立って陛下に異を唱える状況そのものを避けるべきなのだ。俺亡き後、周勃を除けば臣下中の第一人者になり、しかも軍の統率者という点では代わる者がいない卿は、まず己の保身を図るべきなのだ...それは卿の為というだけではない...卿と陛下の間に摩擦を起こさぬという事は、それ即ち陛下の御為でもあるのだ」

「しかし、陛下の匈奴征伐そのものは止めねばならんのだろう ? そんな事態が生じた時、俺はどうすれば良いのだ」

「...よいか、灌嬰...これから俺が言う事は、匈奴の件に限らず重要な事だ...よく聞け...薄太后様(高祖劉邦の側室であり、文帝劉恒の生母。旧魏王室の血を引く)のお力添えを頂くのだ」

「何だと !?」

陳平の答えは、またしても灌嬰の想像をはるかに越えるものであった。

陳平、周勃、灌嬰らが散々苦労して呂氏を滅ぼしたのは、外戚一族の国政への干渉を阻止し、漢帝国の実権を奪い返す為であった。

その経緯、内乱を潜り抜けてきた灌嬰にしてみれば、ここで皇帝の生母の力を借りるという発想自体が、遥かに理解と想像の限界を超えている。

極論すれば、それでは何の為に多量の血を流し、幼少の皇帝とその兄弟を殺害してまで、あのクーデターを決行したのか...という理屈すら成り立つ。

史記外戚世家曰
「絳侯、灌將軍等曰:「吾屬不死,命乃且縣此兩人。兩人所出微,不可不為擇師傅賓客,又復效呂氏大事也。」於是乃選長者士之有節行者與居。竇長君、少君由此為退讓君子,不敢以尊貴驕人」

周勃と灌嬰は、文帝の皇后に立てられた竇后(後に景帝期の皇太后、武帝初期の太皇太后として絶大な国政への影響力を持った。陳平と同じく老荘思想を持ち、儒者を嫌い、漢帝国初期において儒教が国政への影響力を持つことが阻止されていたのは、彼女の力によるところが大きい)の兄弟に対しても、彼らが呂氏の過ちを犯さぬよう、教育上の配慮迄しているのだ。

そんな灌嬰にしてみれば、後宮の力を借りて皇帝に対して影響力を行使する...という発想は、沙汰の限り...という感想しか出てこない。

「...卿の思う処はよくわかっている...あるべき政治という原理原則で言えば、ここで薄太后様の介入をお願いする...という策は外道の極みだ。...だがな灌嬰...それは所詮、朝廷内部の正道外道の話に過ぎぬ...陛下が匈奴への攻勢...更には御親征などなされて、仮に白登山の悲劇が再現されるようなことになれば...我が漢という国そのものが滅ぶぞ...。事の優先順位を間違えてはならぬ」

「陛下は、太后様に対しては絶対的な孝道を貫いておられる...その太后様のお言葉があれば、陛下も必ずや思いとどまられよう。それが、俺の最後の策だ...」

「...太后様のお力添えを頂かねばならぬ事態を想定し...実は、俺は既に密かに太后様の側近の宮女達には伝手を作ってあるし...太后様に対しても季節折々の際に、挨拶や礼物は欠かさなかった...その太后様に通じる伝手はそのまま卿に引き継ぐ故、卿もその伝手を通じて、万一事ある時に備えて太后様への礼を尽くすようにしておけ」

...今更ではあるが、灌嬰は陳平という男の想像を絶する用意周到さに、唖然とする思いであった。

政治の表向きだけではなく、この男は後宮に対しても目配り、気配りをしている。

そして、この男の思考にはタブーというものがない。目的達成の為に有効であると思えば、陳平という男はあらゆる意味で手段を択ばない。卑怯であろうと外道非道であろうと、時には残虐な行為であっても、必要と思えば平然と「それ」をやれる男なのだ。

かつこの男の場合、その全ての行為には必ず多角的な複数の意味がある。

ここまで来ると、最早あらゆる意味で前線の武人として生きてきた灌嬰の理解と想像を超えている...が、灌嬰としては陳平の死後、漢帝国における最高権力者の立場に立つ以上、「それら」を完全には無理としても、ある程度模倣はせねばならぬ...と覚悟するしかないようであった。

それにしても、後宮の女性達への「政治」までやらねばならぬとは...と考えると、灌嬰としては暗澹たる気分を禁じ得ない。

しかし、後宮の女たちから憎まれたが故に権力どころか命を失った実力者の例など、歴史上いくらでも存在する位は灌嬰とて理解していた。漢帝国の宰相としては、その配慮もまた「政治の必須項目」という事になる。

それにしても大漢帝国の第一人者...と言えば聞こえはいいが、要するに政治にしろ経済にしろ、人間という動物どものあらゆる汚濁と向き合わねばならぬ、ろくでもない仕事...という気がしてくる。

そんな仕事を嬉々として「天職」と志し、貧しい庶民だった若き日の頃より、「俺は天下の宰相になる」などと嘯いていた陳平という男は、やはり俺などには理解できぬ...と灌嬰は改めて思った。

...


「...勿論、この策は本当に「最後の手段」だ...何度も使って良い手ではないし、まして、後宮の主が誰であっても使える...という類の手では、断じてない。今の太后様が天下国家の大義を弁えておられる信頼のおけるお方だからこそ、使える手だという事は忘れてはならん...」

史記外戚世家曰
「代王立十七年,高后崩。大臣議立後,疾外家呂氏彊,皆稱薄氏仁善,故迎代王,立為孝文皇帝,而太后改號曰皇太后,弟薄昭封為軹侯。」

極論すれば、陳平ら重臣たちがクーデターの後に代王劉恒を皇帝として擁立した理由は、劉恒本人の器量以前にその生母である薄氏とその兄弟たちの器量と徳望の高さの故...と言ってもいいのである。

陳平としては、原理原則として勿論「外戚の国政への干渉は排除したい」とは思っていても、皇帝の生母たる太后やその兄弟に権力者としての器があるのならば、何がなんでも原則論に固執し、彼らを排除しようとは考えていない。

まして、無類の孝行者として知られる皇帝であれば、その母の影響力は現実として無視できないのである。

そして、その母が利用するだけの価値と力量を持つ女性であるならば、陳平は「それ」を利用することに何の躊躇も覚えない男であった。

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