李世民
そういう理不尽な天才。
貞観の治で知られる「名君」李世民...しかし、彼の天分は武将の方かもしれません。政治家、皇帝としての彼は多分に「名君であるべく必死に演じていた」節がありますが
(演技だろうと何だろうと、政治において重要なのは結果なので、彼が名君である事実は変わりません。「名君」が演技か否かなど、民衆にとってはどうでもよい事です。)
武将としての李世民は本能全開というかなんというか、そっちの方が「本性」ではないかと。彼が駆使した軽騎兵戦術は、当時においては用兵上の革命とされていました。
漢の韓信と並び中国史上最高の名将と称される李薬師(李靖)は、「李衛公問対」の中で主君をこう評しています。
「陛下天縱聖武,非學而能」
別に主君への追従でも何でもなく、薬師は内心「これだから天才という奴らは...」とでも嘆息していたかもしれません。
実際、五十歳近く迄、軍事職でもないくせに兵法の研究に熱中していた薬師からすれば、何十年もかけて学んできた兵法の神髄を、ろくに理論も学ばずに本能だけでやってしまう主君を見れば「陛下天縱聖武,非學而能」とでもいう以外になかったのでしょう。
同時代にはやはり、大して理論を学ぶ時間もなく17歳で反隋革命運動に身を投じ、実戦でいきなり実績を上げ、そのまま薬師と唐軍の双璧と謳われるに至る李懋功(李勣、隋末は徐世勣の名で知られる)のような存在もいた訳で
薬師のように偏執的なまでに兵法理論を極めた男からすれば、二人のような「天才」は理解を絶する存在だったかもしれません。
李衛公問対を読むと、薬師の常軌を逸した兵法マニアぶりは存分に伝わってきます。この男...幸い隋末唐初の乱世に巡り合ったから良いようなものの、隋の煬帝の治世が破綻せずにそのまま平和が続いていたら、どうする気だったのやら。
行政官僚のくせに実務の役にも立たぬ兵法研究に熱中している偏執狂、マニアの変人で生涯を終わった可能性もある訳ですが。
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