オペラ「聞かせてよπの言葉を」は、1990年代にシャルル・トンジュが書いた短編をもとに、有馬次郎が作曲、楽譜はしばらく眠っていたが、つい先頃初演のはこびとなった。
物語は円周率に取り憑かれた男・日野とその妻・それに日野の旧友である「私」の3人で演じられる。
円周率は無限に続く数列なので、理論的にどのような任意の数列も必ずどこかに出てくる。そしてその数列をコードとして例えば日本語に変換することが可能だ。するとどのような数列でも存在するわけだから、例えば「吾輩は猫である」という言葉に変換できる数列も必ず存在する。それどころではない、「吾輩は猫である」の本文全文に変換可能な数列も存在するわけだ。
物語は数としての円周率を探索する行為を物理的に数字の世界を旅行することに例えたうえで進行する。
日野はリュックを背負って旅行に出る、円周率という数の世界への旅行だ。そしてそこで実際に「吾輩は猫である」全文を見つけてきたり、松尾芭蕉の俳句「古池や蛙飛び込む水の音」を見つけてきたりする。
舞台ではこの数の世界への旅を大勢の体の前後に大きな数字を書いた子どもたちの踊りやコーラスによって表現する。
だがこの数字世界への日野の放蕩ぶりに嫌気が差した妻が「私」に相談を持ちかけ、いろいろあった挙げ句に離婚することになる。
月日は経って、旅行から帰った日野が「私」を通じて復縁を求める。その時彼が持ち帰ったのは、妻がかつて日野に送った愛の言葉が詰まった一遍の詩だった。
妻は日野を愛した日々のことを想い出し、彼と一緒に円周率の世界へ旅立つ決心をする。そこでまた日野への愛の言葉を見つけたいと。
舞台は日野と妻とが手に手を取り合って、めくるめく数字の世界へ旅立っていく姿でフィナーレを迎える。
上演時間30分ほどの一幕オペラ。
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さて、上の説明には一部妄想が含まれています。
短編小説は実在しますが、オペラにはなっていません。なったらいいなぁというあじろべえの願望が反映されています。なおシャルル・トンジュはあじろべえの昔のペンネームです。
以下、その全文です。お暇でしたらどうぞ。
「聞かせてよπの言葉を」
彼-日野透が何故、いつ頃からπ(円周率)に取り憑かれたのか、今となっては判らない。私の知るかぎりではでは高校生の頃、すでに彼は百桁余りもπを覚えており、よく皆の前で暗誦して聞かせていた。
そんな彼のことだから趣味というのも専らπに関することで、よくリュックサックを背負ってπへ旅をしに行く。例えばあるときも、第n桁目から第m桁目まで(nとmがどんな数だったか覚えていない)旅行してきたと言って、そこで見つけてきた『夏草やつはものどもが夢のあと』をおみやげにくれた。
πといえばただ無味乾燥な数字の列が果てしなく並んでいるものと思われるだろうが、このような数字の列も一種の符合と解釈して他の文字(漢字やかなやアルファベットのような)に置き換えてみると、偶然ではあるが、ちゃんと意味の通った言葉になることがある。それは極めて稀ではあるけれども、なにしろ無限に続く円周率である。ありとあらゆる数字の組み合わせが無限に存在するのである。その中には意味の通った言葉どころではない、人類がこれまでに生み出した、あるいはこれから生み出すであろう全ての文章がどこかに必ずあるはずである。例えば円周率の第nn桁目から第mm桁目までを日本語になおすと夏目漱石の『吾輩は猫である』になる、といったぐあいだ。
実際、日野はすでに今記述した『吾輩は猫である』を始め、ディケンズの『デヴィッド・コパフィールド』やイソップ童話の『ありときりぎりす』それにポーランド語の『マタイ伝』まで収集している。俳句や短歌の類はかなりあり、『夏草や・・』もそうしたものの1つだった。そのほか、不完全ではあるがヴェルディのオペラ『シチリア島の夕べの祈り』の台本、ファースト・フード・ショップの店員用マニュアル、ひみつのアッコちゃんの魔法の呪文などがある。
これら彼ご自慢のコレクションはしかし、彼が家庭を顧みず、ときには仕事を犠牲にしてまで探し求めたものなので、不幸なことに日野夫妻の仲たがいの原因となってしまったのである。事実、彼の家では毎日夫婦喧嘩が絶えないと聞いた。
私は彼に会うといつも、
「趣味もいいがたまには奥さんを映画にでも連れていってやれ。」
と、言うのだが、一向に聞こうとしない。ひまがあればπへ旅行に行ってるようだ。
さて、ある日。日野はいつものリュックサック姿で私を訪ねると、こう言った。
「『万葉集』を探しに行ってくる。見つけるまで帰らないつもりだ。実は妻には内緒なんだ。反対されるに決まってるから。君。すまないが、よろしく言っといてくれないか。」
「ちょっと待て、日野!『万葉集』なんてそう簡単に見つかるわけがないじゃないか。待てったら!」
私は引き止めたが、人の忠告など耳に入る余地もないらしく、日野は行ってしまった。そこで仕方なく私は、彼の奥さんに事情を説明しに行ったが、彼女は彼女でそんな日野にいいかげん愛想が尽きたらしく、静かにこう言ったのだった。
「離婚します。弁護士をお世話いただけません?」
これでも私は一応、日野の親友のつもりだったから、離婚など賛成しかねたが、彼女の思いつめた様子を見ては何も言えなかった。少し手間取ったが、約1年後には日野ぬきで事実上の離婚が成立した。日野は帰らなかった。
それから何年かたったある日、私の家の玄関にひょっこりと日野が立っていた。
「日野じゃないか!久しぶりだな。元気か?『万葉集』は見つかったのか?」
「・・・まだだよ。」
そう答えた日野の顔は青ざめていた。
「どうしたんだ?顔色が悪いぞ。何かあったのか?」
「・・・妻はどこだ?・・家に寄ったが誰もいなかった。誰もいないどころじゃない。ここ数年、人の出入りした気配さえなかった。なぜだ?」
私は事の次第を説明した。日野は黙ってそれを聞き終えるとこう言った。
「あいつの言うとおりだ。ぼくは身勝手な男だよ。離婚されても仕方がない。」
そして日野はうなだれた。
「そう卑下することもないさ。夢を追いかけるのもまた、ひとつの人生じゃないか。」
と、私が言うと、
「いや・・気がついたんだ。あれを本当は愛している。やっと気がついたんだ。」
以外だった。日野という男はおよそ女性には無関心な奴だと思っていた。彼女と結婚したのもほとんど本人の意志でなく、まわりの勧めによるものだった。
「できれば、あれともう一度やり直したいんだ。力になってくれ。頼むよ。君だけが頼りなんだ。」
自分でやれ!と、言いたいところだが、これでも一応親友だ。それに離婚のことでは私にも責任がある。
「一度だけ、説得してみよう。でも期待はしないでくれ。」
と、言ってしまった。そして、日野に急かされるように私は日野の元夫人に会いに行った。
「え・・と、じつは・・」
下手に切り出すとどやされそうな気がした。(彼女は決して気の強い女性ではない。ただ、こちらに引け目があるのでそう感じてしまったのである)それで、いきなり切り札を使うことにした。
「もしも、あなたに戻っていただけるなら、もう二度とπへ旅行したりしないと日野は申しております。です。」
「そんなこと、あてになるもんですか。」
「それはそう・・ですね・・あ、いや。これを・・あちらで見つけてきたそうです。あなたにお渡しするようにと、預かってまいりました。」
私は風呂敷包みの中から短い文章を取り出した。それは一編の詩のようだったが、私の知らないものだった。
日のさんさんとふりそそぐ野原を
駆け回る夢を見ました
日のさんさんとふりそそぐ野原で
わたしは草の実を集め
風といっしょに歌い
大地にくちづけしたいのです
日のさんさんとふりそそぐ野原で
もし、あなたがお許しくださるならば
「『日のさんさんと・・』は『陽のさんさんと・・』と書いた方が・・」
と、私が言いかけたとき、
「いいえ!これでいいんです。」
と、叫んだ彼女の目から、涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
「わたしが初めてあのひとに贈った詩ですわ!覚えていてくれたのね。」
そういえば、もともと彼女の方から一方的に日野に惚れたのだった。最初の頃は『よくまあ物好きな女もいるもんだ』などと、私もほかの仲間たちとこの話をネタに飲んだりしたものだった。
「思えば幸せな日々があったわ!まだ私が詩をうたってたころ。あのひとはすでにπに夢中だったけど、わたしはそんなあのひとが好きだった。そういえば何度かあのひとがわたしをπの旅行に誘ってくれたわ。『いっしょに君の好きな詩を探さないか?』って、でもわたしは行かなかった。数学なんてわたしには解らないと思ってたから。わたしはなんてばかだったのかしら。あのとき、いっしょに行けばよかったのに。ひとり家の中ですねていたなんて、本当にばかなわたし。そうだわ!今からでも遅くはない。行こう!あのひとといっしょに。πの世界で愛の言葉を探すのよ!あのひとの、あのひとだけのために。」
こうして、彼女は日野といっしょに旅立った。
月日は流れ、日野は『万葉集』を見つけたかどうか私は知らない。風の便りでは、夫人はどこかで、まだ誰も語ったことのない《完全なる》愛の言葉を見つけたそうだ。それがどんな言葉なのか・・ただ私は、はてしなく広がる数字の野原に愛を語らいながら仲睦まじく手をつなぎあったふたりが歩いてゆく姿を想像してみるだけだ。
数列をコードとして文字に置き換える発想はマーチン・ガードナーの著書から得たものです。本のタイトルは忘れてしまいました。