太原起義
後の世に言う、所謂「太原起義」である。
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十六歳の観音婢の部屋に入ってきた、十九歳の李世民は息を弾ませていた。
「観音婢 ! 遂に我々李家が天下を取る時が来たぞ ! 直ちに出兵する。支度を頼む!」
「...とうとうお父上は御決心なされたのでございますね」
「支度は全て極秘に整えてございますわ。...この事あるは、かねてより心得ておりました」
「...さすがは観音婢だ。余の心は全て見通していたのだな」
観音婢は、普段決して表向きの事に口出しはしない女であるが、その時局を見通す聡明さは夫世民も一目も二目も置いている。
隋朝の天命が既に尽きかけていたことを、彼女は既に少女にして見通していた。
そして、李家が天下の為に決起する時がいつか必ず来ることを。
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...後世の史書はこの挙兵について、優柔不断な李淵を差し置いて、次男である李世民が全て企画したかのように書かれているが、到底信じがたいことである。
後に玄武門において、兄である皇太子李健成を殺し、事実上父の高祖を玉座から追い落とした李世民を美化する為に、李淵と健成を貶める形で史実が改竄されている可能性が高い。
...正史以外の資料には、この挙兵は李淵の主導であったことが書き残されており、恐らくそれが真実に近いのだろう。
しかし、そうだとしても、この挙兵に続く大唐帝国の創業において、李世民の功績が傑出していたことは事実である。
...その功績と才能が余りにも傑出していたからこそ、後年、玄武門の悲劇は起きたのである。
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それはまた後日の事であるが。
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「兵を率いるのは大哥(李建成)と余だ。四弟(李元吉)は太原に留守として残る」
この覇気に富んだ、李淵の次男は既に大軍を率いて戦場を疾駆する自分に思いを馳せているようだった。
妻の目から見ても、このまだ若い夫には、長い中華の歴史に名を遺した英雄達に通ずる気概がある。
そして物事の本質を直感で洞察する力があり、天賦の才とはこういう人の事かと思う。
「妾はただ、二哥の御無事な御凱陣をお祈り申し上げるだけでございます...そして、願わくばお父上が大業を成されますように」
「凱旋どころか余は必ず観音婢を迎えに来て、もっと広大な屋敷に住まわせてやるぞ。楽しみに待っておれ!」
...さすがに世民も軍の戦略について妻に口外はせぬが、観音婢は、唐軍の戦略を夫の言葉からほぼ洞察した。
恐らく、唐軍は長駆一撃を以て長安を突くつもりだ。
観音婢の見る所、その戦略はあらゆる意味において正しい。
煬帝は首都を事実上捨てて、江南に逃げてしまった。
河北には竇建徳、河南には王世充、李密らが割拠しつつあるが、長安を一撃で制するだけの力はない。
軍事的に今長安はほぼ空白地帯と言ってもいいくらいだ。この長安を制したものがこの隋末の群雄割拠から一歩抜きんでることは間違いない。
そして、その最短距離にいるのは確実に、太原の唐軍である。
これはまさに天与の機会という以外にない。
天下を狙う者が、太原のような辺境に割拠しても仕方がないのである。そんな近視眼な保身に走っても、短命な地方政権で終わることは歴史が証明している。
例えば約400年前の三国時代を思えばいい。
劉備は漢の皇室末裔と称し、諸葛武候ら優れた家臣団を擁しながら、結局は弱小の地方政権で終わったではないか。
いくら要害を擁しても、地方に割拠など意味がないのである。
機会があるのならば、直ちに中原や関中の中枢を制圧することこそ、この国では天下取りの最短コースなのだ。
特に長安を擁する関中は古くは秦川の地と呼ばれ、800年前に西漢の高祖劉邦が大漢帝国400年の基を築いた王業の地と言っていい。
...それにしても、
史上多くの王朝が興亡を繰り返してきたが、これほど情けない滅び方をしようとしている王朝があっただろうか...と観音婢は思う。
煬帝....楊広という男が最初から分かりやすく暗愚な皇帝であれば観音婢もそういう感慨は持たなかったろう。
質が悪いのは、楊広という男は決して暗愚でも無能でもなかったことである。
...治世の当初、文帝の死に関する黒い疑惑はあったが、民衆は概ね煬帝に好意的だった。
煬帝が父文帝を弑逆して帝位を簒奪したかどうかなどは、民衆にはどうでもよいことである。民衆にとって重要な事は皇帝が善政を行うかどうかのただ一点でしかない。
権力とは、それをいかに手に入れたかではなく、いかに行使したかによって正当化されるものだ。
そして煬帝は、いつくかの善政も行っている。
問題はそれらが全く持続しなかったことだった。
無能ではないのに自制心が欠落している皇帝とは、民衆にとっては迷惑この上ない存在である。
4度も繰り返された高句麗遠征で国庫は完全に破綻したが、4度も不毛な外征を繰り返すなど、無能な皇帝には寧ろできない事である。
こういう場合、いっそ無気力な暗君の方がまだましであった。
...
翻って、唐が天下を取るとしたらどうか...観音婢は冷静に第三者として評価してみる。
身贔屓を抜きにしても恐らくそう悪くない。
世民の父で観音婢の義父である李淵が皇帝になる訳だが、李淵は少なくとも暴虐な男ではないし、煬帝の様に自制心が欠落している訳でもない。
でなければ煬帝のような男の元では、ここまで無事に生きていられないし、太原留守などという大任を任されることもない。
特別優れた能力の持ち主...という訳ではないが、人を用いる度量がある。
その点では西漢の高祖劉邦にやや似ている。
恐らく李淵本人も意識して劉邦を真似ようとするだろう。
であれば、周囲の補佐に人材を得ればよいだけである。
...その点は観音婢が見る所、実は現状余り有望な人材が見当たらない...
劉文静と裴寂という人物が今回の挙兵に際して李淵の幕僚になっているらしいが、観音婢が夫の口を通して知る限り、...高祖劉邦を支えた蕭何や張子房、陳平などに比べれば、著しく小粒という印象しか持てない。
韓信の役割は、恐らく夫である世民が果たしそうな予感がする。
世民は十代にして実戦の指揮経験があるが、既に非凡な才を見せている。
特に騎兵の運用に関しては、従来の常識を完全に打ち破るような用兵をするらしい。
だとしてもこればかりは、妻の勘とでも言うしかないが....
しかし、夫が韓信の役割を果たすとしても、蕭何や張子房、陳平の役割を果たせそうな人材は現在の唐軍には見当たらない....
まだ見ぬ英傑がどこかにいるのだろうか ?
...そんな観音婢の予感は、この後半ば的中し、半ば外れることになる。
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