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別離其二

使用したAI Dalle
西漢文帝二年十月、丞相陳平危篤。

急報を受けた文帝劉恒は、直ちに見舞いの勅使を陳家に遣わした。

高祖劉邦の下で秦討伐戦から楚漢戦争、更には帝国建国後の様々な戦乱、内乱を戦い抜き、更には呂氏討滅と文帝擁立に際しても功を挙げた大功臣、三公の一人である大尉灌嬰を直々に遣わしたのである。

これは見舞いという以上に、もはや再起は叶わぬであろう陳平の口から今後の国家の大事、大計を遺言として聞きおくように...という文帝の意が込められている。

丞相陳平。

かつて項羽の下に仕えながらも楚軍を脱走して漢に身を投じ、今は亡き留侯張子房と共に高祖劉邦の参謀として数々の陰謀、策略の立案に従事し、天下統一と漢帝国の創業に大きく貢献、その智謀は高祖劉邦からさえも警戒された。

漢帝国創業の功臣達の大半がそうであったように陳平もまた貧しい庶民の出であり、それが秦末の戦乱に乗じて世に出、その智謀、機略の才のみを以て遂には中華帝国の丞相に迄上り詰めた一代の英傑、鬼才である。

楚軍の参謀だった范増の排斥に始まり、滎陽城からの脱出、項羽との和睦後の騙し討ち、楚王韓信を欺いての逮捕、白登山における匈奴包囲下からの劉邦脱出、代反乱鎮圧等、漢帝国建国における重要な局面で、陳平は様々な陰謀、策略を立案し実行してきた。

その実行された陰謀は時に悪辣であり、非道外道とも言うべき類の策であったが故に、その献策の幾つかは歴史資料から抹殺され、記録に残されなかった程である。
(司馬遷はわざわざ、陳平の数々の献策を「奇計或頗祕,世莫能聞也」と史記に明記している。それほどに陳平が実行してきた陰謀の数々は「後ろ暗い」類のものであったことがわかる)

特に劉邦死後の呂氏討滅においては劉氏復興の為のクーデター計画を立案し、元丞相の周勃や灌嬰、儒者の陸賈などと計って呂氏一党を滅し、現皇帝の劉恒を擁立した立役者にもなった。

あらゆる意味において、現在の漢帝国における最大の功臣であり実力者である。

その丞相が死の床に就いた今の事態は、帝位についてまもない劉恒にとって大きな痛手であり、せめてその「頭脳」がまだ生きてある内に、皇帝と国家に対する遺言を聞いておかねばならぬ。

劉恒は、直々に灌嬰を召し出して勅命を下した。

「...大尉よ」

「臣在」
灌嬰は短く皇帝の呼びかけに応じた。

周勃が引退し、陳平が死の床に瀕している今、高祖劉邦の下で戦い抜いてきた古参の最高幹部は、灌嬰と夏侯嬰の二人しか残っていない。

夏侯嬰は政治や軍事の実権に関わる要職からは一線を画しており、灌嬰としては陳平亡き後、漢帝国の舵取りが己一人の双肩にかかることを覚悟せねばならなかった。

「丞相(※三公の筆頭である丞相に対しては皇帝といえど姓名を呼び捨てはしない)が倒れ、陳家からの上奏によれば最早丞相の再起は叶わぬと聞き及んでおる。朕は若年かつ非力非才にして高皇帝(劉邦)の大業を継ぎ、日々卿ら先帝以来の老臣達の輔翼を頼みとしているものだ。それを思えば、丞相を失うような事態に至っては痛恨の極みという以外にない」

「誠に畏れ多い事にございます」
灌嬰は、この若き劉邦の息子に頭を下げた。

確かにまだ若年ではあるが、この若き皇帝には名君の素質がある...と灌嬰は常々思っている。

呂氏討滅クーデター後の事後処理において、周勃、陳平、灌嬰、夏侯嬰ら重臣四人が当時まだ年少だった皇帝(少帝)とその兄弟を殺害してでも当時代王だった劉恒を擁立したのは、劉恒の器量云々以前に、外戚が専横を振るい国政に干渉してくる可能性が最も少ないと思われた...というある種の消去法的選択によるものであったが、結果としてその人選は大正解だったと言わねばならない。

ただ外戚薄氏の影が薄いと言っても、実は血筋だけで言えば文帝劉恒は高祖劉邦の諸子の中では、最も母方の血筋が尊貴なのである。

劉恒の母は姓は薄氏ではあるが、実はその母が旧魏王室の王女なのだ。そして旧魏王室の本姓は「姫」...つまり、かつて八百年に渡って中華の天子であった周王室の一門なのである。

更にその周王室の祖先を辿れば、伝説の三皇五帝時代の后稷に連なることになり、その后稷もまた伝説上の存在である黄帝の末裔とされていることから、単に血筋だけで言えば劉恒は只の庶民の出身であった父劉邦よりも尊貴ということになる。

「...本来、勅使と言えども見舞いとは儀礼に過ぎぬ。丞相と同格の三公の地位にある卿を遣わすというのは格式という点では異例の事だ。しかし此度は特別に卿に任を託したい」

「卿と丞相は、かつて先帝(この場合の先帝とは恵帝劉盈の事ではなく劉邦を指す。劉恒は劉邦の後継者という建前で即位したからである)の下で多年に渡る戦乱を戦い抜いてきた戦友であると聞き及んでいる。丞相も卿に対してならば許せる言葉もあろう」

(...戦友...?)
灌嬰は皇帝の言葉に皮肉な感慨を覚えた。若い劉恒は、かつての陳平と、周勃、灌嬰の確執など知るまい。

今の灌嬰は、かつてのように陳平を獅子身中の虫とは思っていないし、その漢帝国に対する忠誠と献身、そして功績の巨大さは素直に認めてはいる。

何よりも注目すべきは、その陰謀の才を一度も己自身の私利私欲の為には使っていない、という点であった。

歴史上、陳平のような策士、陰謀家は多く存在したが、灌嬰の見る処彼らの多くの生涯はどうしようもなく「暗い」のだ。

人を騙し、陥れること自体を生業とする策士という人種の宿命なのかもしれぬが、灌嬰が直接接してきた陳平と、そして既に故人となっている張子房の二人にはその暗さがない。

陳平にしても張子房にしても、無数の人間をその策略の下に殺してきているが、彼らは己一身の卑小な利益の為にその大量殺戮を為した訳ではなかった。漢帝国が今日の大を為した多くを、二人の稀代の策士が担ってきたことは間違いない事実なのだ。

その点において、灌嬰は二人の策士に対しては無条件に敬意を抱いている。

...しかし、改めてあの渾身陰謀の才で出来上がっているような化け物じみた頭脳を持つ男が好きかと問われれば、素直にそうだとも言い難く、まして「友」などとは思ったことはなかった。

ただ灌嬰個人の感情はどうあれ、否応なく陳平死後の漢帝国の第一人者にならざるをえない灌嬰としては、あの異様な頭脳を持つ男が死ぬ前に、その遺言を聞いておく必要がある事は確かであった。

為に、灌嬰としても此度の勅命には何の異論もない。というか、勅命などなくとも元々自ら陳平の枕頭に行き、その最後の言葉を聞いておかねばならぬ...とは思っていたのである。

故に、灌嬰は短く皇帝に奉答した。
「臣遵旨」

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