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鬼謀其三

使用したAI Dalle
「最初に狙うべきは司馬欣と董翳、そして曹咎...正確には、その部下たちです」
陳平は、離間工作の最初の突破口を、そう設定した。

...

司馬欣、董翳、曹咎は何れも元秦人である。

秦を憎む項羽の下に秦人がいるのは極めて例外的であるが、特に司馬欣と董翳は元三秦の王であった。つまり、元秦人からすると裏切り者であり、秦人からも憎まれていたことが項羽の下に居続ける理由であっただろう。

何しろ彼らは一度秦を裏切り、二度目に漢を裏切り、二度に渡って関中の民を裏切っているのである。最早、「故国」関中には戻れない身の上だ。嫌でも応でも項羽についていくしかなくなっている。

しかし、その三人はともかく部下たちは項羽に心服しているとは思えぬ。

彼らも元秦人であり、その故郷も一族縁戚も皆、今は漢王国になっている関中にいる筈である。望んで楚軍にいるとは到底思えない。そして、陳平はかつて楚軍にいた当時に彼らとも直接面識があった。その「感触」は、実感として把握してもいる。

漢に内通させる突破口を作るのであれば、まず彼らに対して工作すべきであった。

「...成程、さすがは陳平殿。理に適っておりますな...かつ、陳平殿としてはかつて楚軍におられたからには実体験として手応えを持っておられるものと拝察します」

張子房は、率直に陳平の策を称賛した。
「...しかし、彼らを内通させるだけでは一割の真実は作れても九割の嘘は作れない.....つまり、仕掛ける工作は二段構えですな ?」

「子房殿のご慧眼もさすがと言うしかありませんな...まさにその通りです」
陳平は、張子房と会話している事に最近は最早言い知れぬ快感を覚えつつある。

この男には、迂遠な解説も補足も不要なのだ。陳平の一言で、陳平の思考全てを一瞬で理解し、更にはその先にまで思考を進めてくれるものだから、子房と会話していると陳平自身の思考もより鋭利さを増し、かつ幅を広げることが出来るのだった。

この快感は、一度知ってしまったら元には戻れぬな...陳平は、そんなことを思った。

この子房の器量の大きさに比べれば、如何に智謀に優れていても陳平を排斥しようとした范増など、全く小さいと言わねばならぬ。陳平としては、張子房ほど項羽と范増に対する殺意や憎悪がある訳ではないが、俺という才能を理解しようともしなかった、用いなかった...という怨恨はある。

子房殿と俺と、我ら二人を敵に回したことを、奴らには最悪の絶望を味あわせた上で後悔させてやろうではないか。

「...ご指摘の通り、元秦人たちを内通させるだけでは肝心の標的には届きませぬ。一定の内通者を作った時点で、定石通りの流言工作も行うのです。ここで、大王から賜った資金は惜しみなく投入します。この天下において、手練れと言われる間諜を全員我らが召し抱えるつもりで大いにやってやりましょう」

...中華の歴史上、この手の離間工作、反間計は多くの者が企画し実行してきたが、此度の陳平ほど潤沢な資金に恵まれて策を実施できた者が果たしていたかどうか。

まさに策士たる者の本懐である...と、陳平は思った。

...

今回の漢軍に限らず、この手の離間工作の欠点は時間がかかることである。

陳平と張子房が陰謀を巡らせている間にも、楚軍の攻勢が止んでいる訳ではない。実際に軍を率いる酈商、周勃、樊噲、灌嬰らは、連日のように押し寄せてくる楚軍への対応に追われていた。

彼らも、参謀二人が進めている陰謀は勿論知ってはいたが、彼らにとってはいつ効果を発揮するかわからぬ迂遠な陰謀よりも、目の前の楚軍をどうやって撃退するかの方が喫緊の課題である。

特に、陳平とは不仲な周勃、灌嬰などははっきりと陳平にそのストレスをぶつけてくることもあった。
(彼らは張子房には敬意を払っているので、その矛先は陳平一人に向かうのだ)

「...おい、天下一の参謀殿。いつになったら楚軍は内紛を起こすんだ」
今日も灌嬰は、陳平と嫌味と皮肉の応酬を繰り広げていた。最早、このやり取りがお互いストレスの発散になっているような節もある。

陳平は陳平で、殊勝に黙って耐え忍ぶような円満な性格はしていない。
「何度同じことを言ったらわかるんだ。卿の頭には記憶力というものがないのか ? 数日やそこらで効果を発揮する離間の策などあってたまるか。俺に向かって闘志を発揮するような余力があるなら、そんな力は楚軍と戦う時に効果的に使え。その程度の計算もできぬなら、将軍職など務まるものか」

陳平にしても、日々間諜たちからの報告を受け、工作の進捗状況を確認しつつ様々な指示を与え、経過について随時張子房と検討し、議論を重ね、神経が焼き切れそうなストレスに耐えているのである。

寧ろこういう時は売り言葉に買い言葉で、ストレス発散を兼ねて喜んで喧嘩を買って出るような節もあった。

...不毛な嫌味と皮肉の応酬だけでは済まず、時に掴み合いに発展することもあったりしたが...。

何しろ、漢軍の最高幹部たちは旧韓の貴族である張子房を除けば、肝心の劉邦以下全員が庶民の出である。お行儀のいい礼儀作法など基本的に全員が有していない。

普段は冷静な策士然としている陳平ですら、その点では庶民丸出しであった。

...

...しかし、陳平が楚軍に盛った毒が着実に効き始めている事を、陳平自身が確実に感じつつあった。

陳平が施した離間の策が極めて狡猾、悪辣であった点は、范増、鍾離眛、龍且、周殷らが漢に通じている...という流言を撒き散らしただけではなく、漢に内通している楚兵を実際に作り、それなりの規模で組織化した点にある。

彼ら内通者たちは決して楚軍における大物でも何でもなかったし、地位が低い者達だけに彼らがもたらす情報も決して楚漢の戦局を一気に逆転させるような類のものではなかったが、陳平は巧みに、かつ最大限にそれを利用した。

つまり、戦局全体を動かすような情報にはならずとも、局地的な局地戦において楚軍の裏をかく...ことが出来る程度の情報ならば、玉石混交ながらもそれなりにあったのである。

そして、漢軍の実戦部隊を率いる酈商、周勃、樊噲、灌嬰らは、さすがに韓信程の魔術的な力はなくとも何れも練達の用兵家であり、断片的な情報であってそれらを十全に活かしきった戦術を展開することが出来た。

陳平は不仲とはいえ、周勃と灌嬰を戦術家としては十分かつ正当に評価している。また彼らも陳平に対して、いけ好かない野郎だ...とは思っているであろうが、陳平の智謀と能力、漢という国と劉邦個人への忠誠についても最早疑ってはいない。

時に不毛な口論もし、時には掴みあいの喧嘩もする仲ではあったが、漢軍の勝利と劉邦の天下取りという共通の目標に対しては普段の確執を捨てて一致団結する。その組織としての団結こそが漢の絶対の優位性である...と陳平は確信していた。

そして「例え局地戦であっても、小規模かつ少ない例であっても楚軍の裏をかいた戦が出来た」という点が、この場合は重要であった。

楚軍の幹部たちが漢に内通している...という流言が飛び交う中で、楚軍にしてみれば実際に情報が洩れている...としか思えない状況が眼前に出現するのである。それを元々猜疑心の強い項羽はどう思うか。

「九割の嘘の中に一割の真実を混ぜてやることで、九割の嘘が真実に化ける」...と言った陳平の狙いの一つは、まずは此処にあったのである。
(その本質的な"陥穽"は、陳平はまたその先に別途用意しているのだが)

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