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Cleopatra VII Philopator

使用したAI Dalle
...ガイウス・キルニウス・マエケナスは当初、間諜からのその報告を信じなかった。
曰く「プトレマイオス朝エジプトに不穏の動きあり」

「...アレクサンドリアの市井の無責任な噂程度を軽率に報告するなどは許さぬぞ。心して物を言え」
一度は報告者を叱りつけたものの、同様の報告が複数の筋から上がってくるに至り、慎重なマエケナスもついに信じざるを得なくなった。紀元前42年。いまだフィリッピの戦い直後の事である。
「バカな、あの女は正気か。気でも狂ったか」

「あの女」とは、エジプトを治める女王、即ちクレオパトラ七世の事である。

普段冷静なマエケナスが思わず声を荒らげた位、間諜からの報告は常軌を逸していた。少なくともローマ的常識においては。

マエケナスは、若き主君の意を受けてローマ全土に間諜を放っている。その範囲は属州にとどまらずローマの同盟国にも及んでいる。当然エジプトもその情報収集の範疇だ。

マエケナスは、若き主君の為に絶えず情報を集めていたが、エジプトに対してこれまで警戒すべき理由は持っていなかった。

何しろ、プトレマイオス朝の現在の君主クレオパトラ七世とは亡き大カエサルの愛人だった女である。ローマに対しても、若きカエサルに対しても敵対する理由も今のところない。

それ以上にマエケナスは、クレオパトラを「話の分かる悪党」、つまり自分たちと同類の人間だと見込んでいた。直接の面識などある訳はないが、彼は女王をそのように評価していた。

この場合の悪党とは勿論、肯定的な、皮肉でも何でもなく女王への賞賛を込めた評価である。

マエケナスの政治哲学において、もっとも質が悪いのは利害損得勘定が出来ぬ「善人」である。「悪党」という人種は寧ろ、勿論例外はあれども基本的に利害損得勘定に基づき論理的に話がつく相手だとマエケナスは思う。

その出来る損得勘定のスケールが大きい悪党ほど、マエケナスは話ができる相手だと思っている。質が悪いのは神君カエサルを暗殺したブルータスたちのような「善意の善人」たちなのだ。彼らとは話のしようがない。

何しろ「善意」に基づいて「正義」でしか動かない、動けない連中なのだから、利害損得勘定も合理性の計算もできない。相容れない、殺す以外に対処のしようがないという結論しか出てこないのだ。

...その観点から言えば、プトレマイオス朝のクレオパトラ七世とは、普遍的な合理性と利害損得の計算に基づいて、十分に話が分かる悪党であるはずだった。大体、神君カエサルの愛人になってまで、自国の権力争いを勝ち抜こうという根性が尋常ではない。「善人」風情にはできぬ芸当だ。

マエケナスは女王にまつわる様々な情報を集めるにつけ、大した女だと、寧ろ大いに評価していたのである。

数か国語を自在に操る明晰な頭脳と、更には優れた政治的センスも持ち合わせているらしく、従来のギリシア的君主像を改め、エジプトの文化を尊重し、民衆の支持も受けているらしい。

年齢は若きカエサルともマエケナスともそう大きく違わぬ、若き女王である。その若さにして相当の「悪党」となれば、マエケナスとしては相応の敬意も抱いていたのである

そのような政治的手腕に優れた「悪党」の女ならば、ローマの最高権力者になった後の若き主君にとっても大いに頼もしい同盟者になるはずだった。

....筈なのだが、間諜がもたらした情報には、ものに動じないマエケナスも思わず絶句した。

間諜がもたらした報告はこうである。

クレオパトラは、自分は神君カエサルと正式に結婚していたと公言し、かつ、神君との間にはその後継者たるべき男子をもうけたのだと言っている。

その男子の名はカエサリオンと言う。

....

バカな、ありえぬ、事実ならばあの女は気が狂ったとしか思えぬ。

マエケナスほど明敏な男が、その程度の感想しかすぐには出てこなかった。クレオパトラの言動は、ローマに、そして若きカエサルに喧嘩を売っているに等しい。

カエサルが激怒し、ブルータスら神君カエサルの暗殺者達に次いで、クレオパトラとそのカエサリオンとやら言う幼児を、殺すべき敵の筆頭として敵意と殺意を向けること確実である。

そして神君カエサルの後継者という事はこの国家ローマの最高権力者となるべき男子という意味になるが、それをエジプト女王の立場で公言する意味を、あの女は理解しているのか。

まず、若きカエサルがどうこう以前にローマ市民が絶対に認めない。

例えカエサルが権力争いに敗死して、アントニウスなりレピドゥスなりが最高権力者になることはあっても、そのカエサリオンなる男子はローマ市民が絶対に認めない。

ローマ人は決して閉鎖的でも差別主義的でもないが、外国人の子をローマの最高権力者として認めることは絶対にない。

その程度のことが、あの女には理解できないのか。

否、それ以前になぜ今、わざわざカエサルのみならずローマ市民全体を敵に回すような真似をするのだ。

神君カエサルには歴とした妻がいたのだから、クレオパトラとの結婚などローマ法の上でありえない。ローマ法では重婚は認められていないのだ。そんなことを主張すればするだけ、ローマ市民の神経を逆なでする結果にしかならぬ。

マエケナスは唖然とするしかなかった。

クレオパトラ七世という女がバカだという情報はどこからも上がっていないし、マエケナス自身これまでは一度としてそう思ったことがない。寧ろ、その政治的手腕は十分に認めていた。

それが、なぜ、どうして

マエケナスほどの男が、事態をどう判断してよいものか、まったく思考の収拾がつかなくなったのだった。

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