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謀臣其七

使用したAI Dalle
※昨年初夏頃に懸命に書き上げた其の一から六がPixivの旧アカウントごと消えちまったので...其七だけ復元しました。その内、書き直すかもしれません。


「...やはり魏豹は戻ってきませんでしたな」

漢三年某日、陳平は嘆息しつつ張子房に言った。

勿論この稀代の謀臣二人にとっては、不測の事態では全くないし、魏豹の裏切りなど最初から完全に想定済みである。

かと言って、この不快を否定することも叶わぬ。

しかも、理由がやりきれない。

張子房は、いつもの凍り付くような無機質さで、ただ一言、
「是非もありませぬ。この上は所定の策に従って魏を攻め落とすのみです。韓将軍(韓信)にとっては余計な仕事が増えたことになりますが、魏豹如き小人は韓将軍の敵にもなりますまい。まずは鎧袖一触かと」

...

史上名高い彭城の戦いにおいて、漢は中原河北の諸王と反項羽連合軍を結成し、五十六万という大軍を結集、楚の首都である彭城を落としたものの、肝心の盟主である漢王劉邦が完全に自制心を喪失して毎日飲めや歌えの乱痴気騒ぎ、

軍は軍の体を成さぬ迄に士気が下がって軍紀が弛緩していたところに、神速を以て反転してきた項羽軍三万の反撃を受け、五十六万の大軍は無残なまでに瓦解したのであった。

しかし数十万の死者を出して敗走した漢軍であったが、かろうじて中原に踏みとどまり、大将軍韓信の統率力と張子房の戦略の下に、ようやく反撃の体制を整えた処であった。

しかし、代、燕、斉、趙の四国は離反、漢の陣営に踏みとどまったのは、そもそも復興の経緯から漢に恩義があり、かつ項羽に王を殺された恨みがある韓と、漢王劉邦と個人的友誼がある恒山王張耳、そして西魏王魏豹だけであった。
(しかも張耳は領地も兵も持たぬのだから、事実上無力である)

...あったのだが、魏豹は母が病と偽って帰国した後、漢を裏切って黄河の渡口を封鎖した挙句、楚に寝返ってしまったのだった。

しかも、理由が振るっている。

曰く
「今漢王慢而侮人,罵詈諸侯群臣如罵奴耳,非有上下禮節也,吾不忍復見也」

魏豹に翻意を促す為の使者として赴き果たせなかった酈食其から、その魏豹の言葉を聞いた陳平は、想定していた事態とは思いつつも、思わず天を仰いだ。

...これだから、生まれながらの王族という奴らは度し難いのだ。

劉邦に背くにしても他に理由もあろうに、何という個人的な感情が理由である事か。

陳平は以前魏豹に仕えたことがあり、様々な献策を全く相手にしてもらえなかった過去からも、魏豹に対しては明確に悪意と反感があるが、それにしても何という情けない男か。

漢に付くにせよ楚に付くにせよ、その選択に魏という一国の存亡命運がかかっているのである。

王一個の感情で左右すべきものではないし、左右されて良いものでもない。

ところが魏豹は、つまり要するに「劉邦の野郎が傲慢でムカつく。やってられるか。二度と会いたくない」という己個人の感情に従って漢を裏切ったのである。

陳平のように冷徹無比、生まれながらの政治家であり、常に理性を優先して利害損得の計算を失わない男からすると、冷徹な利害損得勘定よりも感情を優先する人間という存在自体が理解しがたい...というか、その類の「人としての素直さ」こそが極めつけの「悪」ではないかとすら思える。

...

「...それもまた人間というものの現実です」

張子房の静かな一言に、陳平は思わず己を顧みて苦笑した。

この男、俺の内心を読みやがったか。

己の思いが色々と顔に出ていたらしい...。

極悪非道の陰謀家、策士にしては他愛もないことだ。

俺もまだ甘い上に、青いな。

そんな青臭い事ではこの先、項羽はともかく、あの范増の爺と知略を以て対峙し、更にはあの爺を倒すことなど叶わぬではないか。

...

張子房にしても陳平にしても共通しているのは、「物事はこうあらねばならぬ」的な倫理観や道義的束縛など己の中に微塵も設けていない、という一点である。

後年、仙人になりたいと言って本気で断穀修行してしまうような子房ほどではないにしろ、陳平にも老荘的な思想はあるが、老荘的という以前に、そもそも「己自身も含めて人間という生き物は所詮そういうものだ」といった、人間という生き物の業そのものを冷徹に高みから見下ろすような視座を有していなければ、参謀、謀臣などという職掌は務まらないのである。

(余談ながら、資治通鑑の作者司馬光は子房の仙人修行について、「張子房ほど明晰な男が本気で仙人になれる等信じている訳がない。保身の為の策であろう」という、ある意味では実に儒家らしい解釈をしている。中国では「明哲保身」と言う。儒教には「君子は怪力乱神を語らず」という一種の合理主義、科学的思考がある為、「黄老の道」等は迷信として否定される)

人間という事象現象の全てに対し最初から「物」とみなして、善悪や道義倫理などではなく純粋に物理計算として計算と思考を積み上げていかなければ、計算の全てが狂ってしまう。

その計算においては、人間の感情すら「そういうもの」という物理現象として、その事実の上に計算を積み上げていくのが子房と陳平の仕事であった。

しかし今、魏豹の裏切りに対して陳平が不快を感じたというのは、その計算の上での冷徹さにおいて、まだ陳平が「甘い」という証左であった。

魏豹の感情すら「ただ単純に事実としてそういうものだ」「人間という生き物の生態とは、その大多数は元々その程度のものだ。飯を食い、糞尿をまき散らし、その大半はその程度の感情で動く生き物でしかない」と、只の物理現象と見なして計算するのが参謀であるならば、そういう理屈になる。

更に言えば、子房はその「甘さ」を懸念したからこそわざわざ口にしたのであろう。陳平は、そこまで洞察した。

...

子房のその「懸念」も、陳平に対する友情などといった甘っちょろいものでは勿論あり得ない。

子房の目的は、「項羽を殺し、殺された韓王成の仇を討つ」という只一点に凝集されており、陳平も、韓信も、それどころか主君である漢王劉邦でさえ、漢という国家機構とその軍そのものが子房にとっては己の復讐を遂げる為の道具に過ぎぬ。

そして子房は陳平という鬼謀奇策の持ち主を「己の復讐の為に使える道具」として評価しており、道具の有用性が損なわれては困るという観点からの「懸念」でしかない。

しかし、陳平は子房のそういう冷徹さが嫌いではない。

陳平自身もまた、本質的に子房と同類、同種の人間だからだ。

陳平もまた、将来皇帝となった劉邦(あるいはその後継者)の下で新帝国の宰相となり、存分に辣腕を振るいたいという野心があり、その野心の為に劉邦という大器を担ぎ上げ、彼に天下を取らせる為に、張子房という稀代の天才の頭脳に協力しているだけのことであり、彼もまた己の野心の為に子房の才能を利用しているのである。

利害が一致する者同士、互いに相手を利用しているのだ。

ノイズでしかない安っぽい感情等が介入する余地がない分、その関係性は寧ろ純粋であるとさえ言える。

そういう緊張感のある関係性が、陳平には決して不快ではない...処か、快感ですらあるのだった。

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