銀髪が風に揺れる。機械の腕が陽光を反射し、ピンクのドレスが風になびく。
旅人の少女は、その姿で数百年もの時を旅してきた。大切な人との別れから、いったいどれほどの歳月が流れただろう。
永遠の夏が幾度も巡り、世界は絶えず姿を変えていった。
かつてニューナゴヤと呼ばれた集落に辿り着いたとき、少女の足取りは軽やかだった。集落は、かつての巨大都市の面影を残しつつも、自然と調和した姿に変貌していた。木々や草花が建物を覆い、鳥のさえずりが街を彩る。
人々は、久方ぶりに訪れた旅人を温かく迎え入れた。
「旅人さん、この先にはね、すごい遺跡があるんだよ」
白髪の老人が、輝く目で語りかけた。その目は、幾世代にわたって語り継がれてきた物語を映しているかのようだ。
「昔、宇宙から落ちてきた大きな球があってね。それを巡って、大勢の人が争ったんだ。今じゃあ、誰も近づかない聖地みたいになっちまったけどさ」
その言葉に、少女の中で何かが反応した。興奮が、胸の奥で渦巻く。
「行ってみたいわ。詳しく教えて?」
少女は、老人に話をせがむ。
老人は目を細め、懐かしそうに語り始めた。「そうだな、昔の人の話によると、あの球体は『神の繭』と呼ばれていたそうだ。中には、世界を再生させる力が眠っているって」
少女は興味深そうに聞き入る。
「でもな」老人は声を落とした。「その力を求めて多くの人が争い、血を流した。そのせいで、あの場所は『悲しみの天蓋』と呼ばれるようになったんだ」
老人は一息ついて、続けた。「行き方はね、ここから東の方角さ。まず、大きな赤い橋を渡る。そこから先は昔の大通りの跡を辿るんだ。道は荒れているけど、まっすぐ進めば3日ほどで着くはずさ」
少女は頷きながら、老人の言葉を一つ一つ心に刻んでいく。
「でも気をつけな」老人は真剣な表情で警告した。「水没がひどくなったところや、道が最近崩れちまったところもある」
「わかりました。ありがとうございます」少女は深々と頭を下げた。
老人は優しく微笑んだ。「気をつけて行っておいで。そして、もし良かったら、帰りに見たものを教えておくれ」
少女は明るく笑顔で答えた。「はい、必ず戻ってきます」
* * *
翌日、少女は集落を後にし、目的地に向け歩み始めた。かつての道路は、今は緑のトンネルと化していた。木々の間から差し込む陽光が、少女の銀髪を優しく照らす。時折、朽ちた建物や錆びた機械が顔を覗かせるが、それらも自然の一部となっていた。
(この景色、あなたなら何と表現するでしょう)
(科学の敗北? それとも、自然との共生?)
(きっと両方ね。そして、新たな可能性の芽生えだわ)
しばらく進むと、開けた場所に出た。終末事変以前の遺構だろうか。建物は朽ち、大きな道路は水に沈み、清らかな川となっていた。
少女は立ち止まり、深呼吸をした。
水面は鏡のように滑らかで、空の青と雲の白を完璧に映し出している。岸辺には色とりどりの花が咲き誇り、蝶が舞い、小鳥がさえずる。
少女は岸辺に腰を下ろした。すると、一群の水鳥が優雅に泳いでくるのが見えた。群れは大胆にも近づいてきて、少女の機械の足元をつついた。
「こんにちは」と少女が声をかけると、鳥は首を傾げ、愛らしく鳴いた。
少女はポケットから、長い旅の間に集めた種の一部を取り出し、そっと差し出した。鳥は躊躇なくそれを受け取り、嬉しそうに食べ始めた。
この小さな交流に、少女の心は温かさで満たされた。人間も、シンカロンも、そして自然の生き物も、この世界で共に生きているのだと実感する。
「ありがとう」と鳥に告げ、少女は再び歩み始めた。
* * *
少女はさらに幾日もの歩みの末、ついに目的地に辿り着いた。
その光景は、息を呑むほど壮大だった。
巨大な球体構造物が、まるで別の惑星のように広大な湖面に映り込んでいる。かつて宇宙を目指した人類の夢の結晶が、今は地上に眠っているのだ。その表面には苔や植物が這い、過去と現在が見事に調和している。
周囲には、半ば崩れた高層建築が立ち並び、その間を縫うように水路が張り巡らされている。木々が風にそよぎ揺れて、葉が舞い落ちる。
「美しい…」
その言葉が、自然と口をついて出た。少女の機械の目に、感情の輝きが宿る。
足元の桟橋は朽ちかけているが、それでも昔の技術の確かさを物語っている。遠くには、何かの装置が空中に浮かんでいるのが見える。終末事変を経ても、なお機能し続けているのだろうか。
「ここが、かつて争いのあった場所なのね」
かつてこの地で繰り広げられたという戦いの様子が想像され、まるで霞のように浮かび上がる。しかし今、目の前に広がるのは静寂と調和の風景だ。人類の野望と自然の力が融合し、新たな美しさを生み出している。
「もっと近くで見てみましょう」
少女は桟橋を歩み始めた。その足取りは軽やかで、まるで長い旅の疲れなど微塵も感じさせない。
球体に近づくにつれ、その巨大さに圧倒される。表面には無数の傷跡が残っているが、それらも時の流れと共に風化し、新たな模様となっていた。
内部に足を踏み入れると、そこはまるで別世界だった。天井が高く、広大な空間が広がっている。所々に残された機器や装置が、かつてここで行われていた研究の痕跡を物語っていた。自然光が入り込む隙間からは、小さな生態系が芽生えていた。
少女は、ゆっくりとその空間を歩き回った。機械の指先で壁に触れ、床に残された跡をたどる。
(ここで、人々は何を見つけたのかしら)
(未来への希望? それとも、過去の教訓?)
(きっと、両方ね。そして今、私がそれを受け継いでいる)
長い時間をかけて、少女はこの遺跡のあらゆる場所を巡った。そして最後に、球体の最上部へと向かった。
頂上からの眺めは、息を呑むほど美しかった。遠くまで広がる緑の海。その中に点在する、かつての文明の痕跡。そして、新たに芽吹いた生命の息吹。
少女の瞳に涙が浮かんでいた。
「ここまで連れてきてくれて、ありがとう、シルヴァリア」
少女の口から、人間らしい温かみのある声が漏れる。
「何をおっしゃるのですフェリエ。まだまだ、行きたいところは沢山あるのですよ」
少女――シルヴァリアはそう明るく言うと、涙をぬぐい、笑った。
フェリエとの別れから517年。とても長い歳月が流れた。その長い旅の中で、フェリエの意識とシルヴァリアの存在は徐々に融合し、そしてまた、それぞれの個性を保ちながら共存するようになった。この不思議な存在のあり方こそが、新たな世界の可能性を示しているのかもしれない。
夕日が地平線に沈みゆく中、シルヴァリアは再び歩み始めた。この遺跡で得た経験と洞察を胸に、次なる目的地へと向かう。
終わりなき旅は、まだ始まったばかり。過去と未来が交錯する中で、シルヴァリアの物語は続いていく。その銀髪が風に揺れる姿は、まるで希望の旗のようだった。
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続きものです。
前の話はこちら!
67年目の別れ〜ロガーが繋ぐ二つの心
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