A-EYE🎨さん主催の投稿企画「海洋恐怖症」に参加します。
北欧神話のクラーケンは巨大タコ説と巨大イカ説がありますが、近年ダイオウイカが発券されたことにより巨大イカ説が優勢だそうです。
マッコウクジラについては全長20m超、ダイオウイカも15m超の巨大化した個体の目撃談があり、2頭の格闘情報も散見されます。
19世紀後半〜20世紀初頭の捕鯨用帆船の全長は20m前後、排水量は350トン前後だったそうで、そりゃー同じくらいの大きさの海洋生物に遭遇したらひとたまりもありませんねー
(参考:「メキシコ湾で19世紀に沈んだ捕鯨船を発見。アメリカの捕鯨産業の歴史が明らかに」(カラパイア))
https://karapaia.com/archives/52311317.htmlちなみに同時代に日本へやって来た黒船は蒸気船軍艦で全長78.3メートル、排水量は3,824トンあったそうですが、
まだ蒸気船の太平洋航路は開発されておらず、外洋航海の主流は帆船でした。
燃料の石炭積載に課題があり、蒸気船といえど風向きが良い時は帆船運用に切り替えていました。
黒船も大西洋から中国、沖縄経由で下田に来ています。厳密にはペリーは蒸気船ミシシッピ号で広東に来て、先行していたサスケハナ号に乗り換えています。
(参考:「ペリー艦隊の航跡(日本財団)」)
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00915/contents/0004.htm参考URLを見て知ったのですが、ペリーは「蒸気軍艦の建造や艦船の近代化に貢献し「蒸気軍艦の父」と呼ばれ」ていたとか。当時最新鋭の蒸気軍艦の航海は専門家に委ねられた訳ですね。
アメリカ側には最新の軍事力と科学力を見せつける示威行動によって開国を迫る意図があったようですが、見事に江戸幕府の度肝を抜くことに成功したことは歴史の授業でよく知るところです。
ペリーが日本に開港を要求した理由の1つに捕鯨船の中継基地確保がありました。
クジラの身体から取れる鯨油は石油が実用化されるまで燃料として珍重され、捕鯨は一大産業でした。
最近の捕鯨規制に関する議論は置いておくとして、ゴールドラッシュさながらに捕鯨船が大洋を駆け巡っていた時代があったことは事実です。
とくにマッコウクジラからは鯨油だけでなく、龍涎香という香料の原料が取れたため乱獲されたようです。
ちなみに抹香鯨という漢字は当て字だと言われており、抹香は取れません。
(参考:「マッコウクジラ/抹香鯨/まっこうくじら」(語源由来辞典))
https://gogen-yurai.jp/makkoukujira/ところで、巨大化した海洋生物のお味ですが、巨大化の要因の1つに水分があり、巨大化したイカや魚は一様に水っぽくて(海水味)、美味しくないそうです😝