「――…それで、今日はどのようなご用件ですの?」
金髪碧眼のヒノイの令嬢は、豊かな金髪をさらりと揺らして小首を傾げて見せる。
喫茶店のテーブルを挟んでそれと向かい合うのは、同じく金髪碧眼でスーツ姿のフェンテスのメッセンジャーロボットだ。
「確か、フェンテスの芸能事務所の使いの方と伺いましたが」
「一口で申し上げれば、ビジネスの提案ですよ、レディ」
しかしながら、この場合、互いの外見や周囲の状況には特に意味はなかった。
互いの外見はネットワーク上における単なるアバターに過ぎず、二人の周囲で壁や床が時折発光したり変色したり、椅子やテーブルの輪郭が瞬間的ながら激しくブレて見えるのは、今この瞬間もネットワーク上で繰り広げられているサイバー戦の影響によるものだ。
傍目はどうあれ、今この瞬間も両国間で激戦が続いているのは事実だった。
「フェンテスは娯楽という分野では極めて豊富な文化的生活を国民の誰もが享受しています。言い換えれば、実に客の目が肥えているのですよ。ちょっと目先を変えたぐらいでは全く見向きもされない。つまり、全く新しいジャンルの開拓が必要なのです」
無言のまま令嬢は青い目で先を促す。
「ヒノイではノーマの異能力を積極的に活用したエンターテイメントが発達していると伺いました。それはアイドルや歌手、ダンスなどのショービジネスの分野にまで広がっていると」
「それをフェンテスにも持ち込みたいと? 敵国の文化を自国に輸入するなど、戦時においては到底許されないのでは? まさか無許可で勝手にそのようなことをなさるのであれば、結果として私どもは自国民を無用の危険に晒すことになりますが」
「まさかまさか。こちらもそこまで無謀ではありません」
双方の声音は全く変わらず、互いの笑顔も全く揺らがない。アバターであるからして当然のことかもしれないが。
穏やかで社交的な会話が礼儀正しく続く。
「『フェンテスなかよし部』…でしたか。互いの国民が手を取り合い、平和的に友情を育む試みがヒノイでは続けられているとか」
「そちらでは『おぞましい洗脳と精神操作によって本来の人格を歪められている』と盛んに喧伝されているようですが」
「実態はどうあれ、その建前までは否定する必要はありません。綺麗事、理想論、大いに結構。むしろ、御題目こそ純粋であるべきでしょう。その方が視聴者のウケもいい」
フェンテスのロボット――あるいは、それを装っている者は、令嬢の吐いた微量の毒をさらりと受け流してみせた。
この場においては火炎や吹雪、電撃を操るノーマの異能は何の意味もない。人を超える寿命や怪力といった機械化されたロボットの長所も発揮する余地がない。
ただただ、互いの手札を組み合わせて双方が最大限の利益を得ようとする知性の発露のみが交渉を成立させている。
「それでは、例えば平和や反戦を願う歌を大音量で流しても問題ないと?」
「国内で厭戦気分が蔓延することは主戦派の皆様にとっては愉快なことではないかもしれません。しかし、それぐらいは演出と編集次第で何とでもなります。むしろ、ヒノイにおいて国論の分裂が生じていると逆に宣伝工作をされるかもしれませんな」
芸能業界において、本人の意思や真意とは無関係に一部の言動のみが切り取られ、勝手に一人歩きした挙げ句に炎上する、といった事例など日常茶飯事である。
百年以上も戦争が起きず、娯楽の開発に注力し続けてきたフェンテスにおいては、それらに対応するノウハウはむしろヒノイよりも蓄積され発展している部分さえあるかもしれない。
これは宣伝戦で出し抜くのは難しそうだ、と令嬢は内心のみで小さく呟き、もう一歩踏み込むことにした。
「撮影機材や通信機材については、どちらが負担することになりますの?」
「もちろん、この商談を持ちかけたのはこちらですから、それぐらいは必要経費として負担させていただきますとも」
「あら、太っ腹でいらっしゃるのね。ですが、それには及びませんわ。必要経費ということでしたら、こちらも相応に負担させていただかねば。特に撮影機材については、公序良俗に反する画像や動画が国外に流出するのは避けたいので、こちらで厳選したもののみを提供させていただきます」
「それはそれは」
メッセンジャーロボットは初めて返答を遅らせた。
それは一瞬の数分の一ともいうべき僅かな間ではあったが、今のが通信回線のラグなどといったハード面の問題でない限り、フェンテス側にとって歓迎すべき流れではなかったのは間違いない。
秘め隠されているものほど見てみたいと思うのは下劣ではあれ自然な好奇心の発露に過ぎない。特に芸能関係であれば、その傾向は一層強い。ステージ衣装の隙間から一瞬だけ垣間見えた下着や肌色に目の色を変える過激なファンとてヒノイでも少なくはない。そういった際どい画像をわざと流出させることで集客効果を上げるのもマーケティングとしては一つの手段である。まして現在敵国であるヒノイの美少女の画像や動画を加工して性欲の捌け口にしようというゲスな輩とているだろう。
あるいは肉体の大半を機械化していながらも、未だに性欲の軛から逃れられずにいる滑稽ぶりを笑うべきところだろうか。
「通信機材については――」
「そこが引っかかっているのですけれども」
商談の開始以来、初めて令嬢がロボットの発言を途中で遮った。
「そちらも既にご存じでいらっしゃるとは思うのですが、なんでも『グランシュライブ』なる催しが、各国で告知されているとか?」
「…ええ、こちらでも把握はしております」
「詳細を知れば知るほど、実に奇妙な催しですわね。国境の無人地帯に空中ライブ会場の設置、それだけならばまだしも、各国へのリアルタイム配信まで可能とするほどの技術力。まるで、誂えたかのように今日の商談と演目や内容が似通っております」
「いやはや、双方の間に多少の誤解があるというのは悲しいものですな」
いかにも嘆かわしげに、大袈裟な身振り手振りでメッセンジャーロボットは大きく頭を振りつつ肩を竦めて見せた。
「はっきり申し上げますが、あの件について弊社は全く関知しておりませんでした」
「…でした、というのは?」
「しかし、誰が企画立案し各国に広く告知を成したかなど些末な問題に過ぎません。これほど話が大きくなり、かつ各国の間で広く知られるようになったのであれば、弊社としてもこれに相乗りするに吝かではありません。この商談も、その一環ですよ、レディ」
韜晦しているようでもあるが、意外と本音を口にしている可能性もある。
ビジネスの場で嘘は御法度だ。より正確には、一度でも嘘を口にすれば信用という目には見えない資産が著しく毀損する。短期的にはともかく、中長期的には結局のところ信用を失った商人は商売の場から追い出されることになる。
「とはいえ弊社としても、この件につきましては少なからず賭けに出ることにはなります。それは否定いたしませんがね」
「そこまで御社の内情を晒して問題ありませんの?」
フェンテスのメッセンジャーロボットは低く笑い声を上げた。
「これは別に内情というほどの秘密でも何でも無い話ですとも、レディ。貴国との開戦以来、フェンテスの軍事産業は息を吹き返したかのように大量のリソースを底なしに飲み込んでいる。新兵器の開発、生産、そして運用。これらに必要な莫大なリソースがどれほど無造作に消費されているかは戦況を少し眺めれば子供でも理解できることです」
「確かに」
「そして、国家経済というのは決して無限ではない。一企業とは規模が段違いに異なるがゆえに、影響が出るまでに多少の時間は要しますが。しかし、確実に影響は国家全体に及ぶ。…これまで科学研究や娯楽の分野に投入されてきたリソースが軍事の分野に著しく偏ればどうなるか、言うまでも無いほどに明確な結果が待っているのです」
「御社は最低でも事業の縮小…最悪、倒産も余儀なくされるということですのね」
「然り」
端的に肯定したメッセンジャーロボットは一息を置いた。
「あとは過去の歴史を紐解けば、その後に待っているのは文化の、そして文化を生み出す自由闊達な精神の死のみだと学習するのも容易なことです。許されるのは戦争の継続に必要な愛国主義的、軍国主義的、あるいは全体主義的な分野に偏った狭小な作品のみ。そうでないものは非難され、迫害され、抑圧される」
令嬢も無言で頷いた。
ヒノイにおいても、先の大戦では戦前から戦中に至るまでには似たような経緯を辿った。
戦前においては敵国人と積極的に交流し、それゆえに開戦に反対したり早期の停戦を主張した政治家や軍人とて少なくはなかった。敵国から輸入された文化を楽しむ者の数は、それ以上に多かった。
それでも、戦争が長引くうちにそれらはやがて姿を消していった。
憎悪の蓄積が怨恨を生み、怨恨が新たな憎悪を育てる。
敵国人のみならず敵国発祥の文化にまでそれは及び、果ては言語や肌の色など、敵国を連想させるものであれば全てが迫害の対象となった。
迫害する者が悪なのではない。
文化そのものには善も悪もない。
戦争という現象が社会を歪ませる。これは雨が降れば地面が濡れ、それが長引いて豪雨となれば水害となるのと同じ、ある種の社会的災害のようなもの。
「そうなる前に…そこまで事態が深刻化する前に、なにがしかの手を打たねばならない、ということですね」
「その通りです、レディ。ご協力いただけますか?」
「微力ではありますけれども、互いにとって利益がもたらされる限りにおいては、可能な限り」
相互利益が確保されている限りにおいて、ビジネスパートナーとしての関係性は保ち得る。
敵国との文化交流という危険な橋を渡ることにはなるが、それでも貴重な『対話が可能な窓口』だ。
今ならまだ、辛うじて話もできる。しかし、これ以上に長引けば、このような交渉の真似事ですら敵に通じる利敵行為として裏切り者扱いされる。否、既にその兆候が現れつつある。
和平交渉の前段階としての停戦に向けて、まずは双方の対話を可能とする世論の醸造を。そこまでいかずとも、せめて対話の窓口の確保を。
令嬢とメッセンジャーロボットは更に細かい条件を幾つか詰めた後、互いの手を差し出して握手を交わした。
これにより、双方の政府が積極的に推奨や許可を出したりはしないものの、イベント開催の妨害や会場周辺での戦端を開く行為を避けるなどの幾つかの取り決めが交わされ、主戦派もまたこれを辛うじて黙認。これにはヒノイ政府の総務省特異戦略局の遠回しな干渉と、フェンテスにおいては深刻化する一方の社会不安の高まりを一時的にでも沈静化させたいフェンテス政府穏健派の牽制があったとされるが、それらの裏事情を知る者は極少数に留まるのだった。
設定引用元
チキンライス様作『玉響チトセの戦略会議』
https://www.chichi-pui.com/posts/54943cea-be38-479f-877e-b74cd88bbf3b/猫黒夏躯様作『フェンテスなかよし部』
https://www.chichi-pui.com/posts/21d4a58e-a1fd-418d-a8bc-4373ca26b1de/さとー様作『グランシュライブ!!!』
https://www.chichi-pui.com/posts/afaeaa4a-cbb6-4cce-ac2b-b2df292b211c/user_h_TqQhPZmb様作『泣く幼女』
https://www.chichi-pui.com/posts/bad78f2f-73e7-43b0-b63b-97c9756012df/