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ひとつ前の前編『不死の魔女と時の女王【I】』より続く...
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 後に不死の魔女と呼ばれるようになるリーゼロッテ・リリエンタールは、師の言葉に戸惑いを見せた。
「……アウグスタ様。な、何をおっしゃるのですか……?」
 時の女王アウグスタの口調は穏やかだったが、揺らぐことはなかった。
「あなたのような賢い子なら、本当は分かっているでしょう。この国の人間でまだ理性がある者たちも、まだ狂っていない戦士たちも、本当は分かっているはず。――この第三帝国は、もうすぐ滅びるわ」
「しかし、それは……」
 欧州の歴史の変遷の全てを見てきた夜の貴婦人は、ゆっくりと首を振った。
「私から魔術を学んだ後、運命の流転から、あなたがいま軍にいるのも分かる。こんな時代、愛する人や家族を失えば、誰しも国を愛し守る気持ちを持つわ。
 私たち不死者の中にある時計は永遠に止まってしまった。この部屋に飾ってある壊れた時計のように。でも、この世界全体の時計の針は止まらないの。時は移ろい、人の子の創る国は常に滅んでゆくの。
 永遠を手に入れた私たち吸血鬼でさえも、間違いを犯します。年経た竜や人狼も、夜の種族もみな、時には人間と同じように間違いを犯すの。
 そして……昼の世界の人間の王も間違いを犯すわ。この第三帝国の王は大きな間違いを犯した。この国の総統はもう、死の影を纏っています。私たち夜の民よりももっと暗い死の影を」
「それは……。確かに我が軍の劣勢は囁かれていますが……」
 師匠の前で話を聞くリーゼロッテは、苦々しげに首を振った。
「私たちヴァンピーアは神に背いた種族で、パンと葡萄酒の代わりに人の血を糧に生きる。時には人を殺めることもある。
 でも、それとは桁違いの数の人間が、この戦争で既に死んでいるわ。故郷を遠く離れた北方の大地で、吹雪の中で多くの命が失われた。信ずる神が違うだけの民を根絶やしにしようとしているのは、あなたと同じ親衛隊の黒い制服を着た、悪魔の心を持った人間たちなのよ」
「はい。その収容所の噂は、時折耳にします……」
「新大陸の新しい国の軍の軍靴の足音が、もうすぐこの国に聞こえてきます。この帝国の最高の数学者たちが作り上げたご自慢の暗号器エニグマの秘密も、もしかしたらもう奪われているのかもしれない。海中で息を潜めるUボートの位置は、もうすべて筒抜けになっているのかもしれないのよ。アーサー王の末裔たちの国に」

 欧州全土を覆い尽くすかに広がった第三帝国軍の進軍は、この頃停滞していた。西では王都ロンドン爆撃に失敗、東部戦線では冬将軍と赤軍の抵抗に遭いモスクワ攻略は為らず。やがて上陸してくるであろう米英連合軍の前に、敗戦の密かな予感が広がり始めた頃であった。
 ロンドン中枢の直接空爆の切り札として密かに研究されていたロケット技術が、その後宇宙への航海に乗り出す人類の基礎技術として使われるようになるのは、まだしばらく先の話である。


「お師匠様の命とあらば、従いましょう...。し、しかし、アウグスタ様はこの先、どうなされるのですか? マイスターほどの使い手と言えど、もしも、もしもこの街が全面的な空襲にでも遭ったら、炎はあまりに危険です」
 リーゼロッテは懇願するように、師匠に尋ねた。強大な力を持つヴァンパイアには弱点も多く、太陽と並んで炎はその最たるものだった。この乱世の時代、戦火の炎で命を落とす不死者は多かった。
 夜の旅人にして強大な夜の魔術師は寂しそうに微笑み、続けた。
「私はもうしばらく、この国に残ります。私の元には強力な魔術品が幾つもあるわ。正しい知識を身に付けた使い手は、まだ少ない。正しい使い方を知らない昼の世界の人間に、渡す訳にはいきません。
 夜の世界の住人に託すことができればいいのだけど......夜の種族たちもこの戦争で、ずいぶん数が減ってしまった」
 長老級の吸血鬼はふと、遠くに視線を彷徨わせた。
「この国に鉤十字の旗が立つよりずっと前、ワイマールやプロイセン、その前の神聖ローマ帝国の旗が立っていた時代から、私が住んでいたのはこの土地でした。もう、離れるには年を取りすぎてしまったわ」
「では...ここで、アウグスタ様と最後になるかもしれないお別れを...今生の別れをと、おっしゃるのですか......?」

 ヴァンパイアには様々な言い伝えがある。曰く、冷酷な怪物に変じた吸血鬼は涙を流さぬと。曰く、彼らは血の涙のみを流すと。
 だが、年若い赤髪の吸血鬼の青い色の瞳には人間と同じ涙が溢れ、重ね稲妻の襟飾りが縁取る黒い制服を濡らした。

 泣き崩れようとする弟子の肩を優しく抱くと、時の女王アウグスタは言った。
「さあ、お立ちなさい、リーゼロッテ。何も私の滅びが決まった訳ではないわ。太陽は私たちを導いてくれないけれど、夜の月光と星々の光が導いてくれる。そして時が、私たち不死者の味方をしてくれます。
 もしも幸運と星の導きが私たちの元にあるならば――いずれどこかの地で、別の時代の夜に、また会うこともできるでしょう」
「でも、でも、アウグスタ様……」
 涙を流し続ける弟子の頬を拭うと、時の女王は優しく続けた。
「リーゼロッテ、我が愛しい子よ。あなたは私の大切な弟子、そしてもう十分に優秀な魔術師よ。あなたは私が育てた子供たちの中で、とりわけ優秀だった。
 いつでも誇り高いあなたなら、不死者の矜持を忘れずに歩むことができる。
 たとえ孤独の夜が長かろうとも、闇の深奥に呑まれることなく歩み続けることができる。
 あなたの内なる魂の灯を掲げて、夜の帳を歩みなさい。
 たとえどんなに離れていても、私たちは同じ夜の下にいて、想いは通じているの。大丈夫、あなたならできるわ――」


 時に西暦1943年。帝都ベルリンが瓦礫の山に変わるまであと2年。
 二人の夜の旅人を見守るのは、戦乱の時代の夜を飾る黄道十二宮の星々であった。


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8/16投稿の【後日譚とあとがき】へ...
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【追記】こちらも2024年8月15日のデイリーランキング41位、SDXLで16位ありがとうございました🌹ひとつ後のあとがきで丁度1.7万いいね達成と相成りました。

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