#オキツネ元凶対峙『花山ショウコ伝』【ニャンノ世界】
狂気な世界、
この世界は気分屋さんなのだ。
倫理で書いていたらぶっ壊れてしまう…
心のぶっ壊れ度でいったら、
多分、常人が見たら発狂するほどかもしれない。
文字を考えることに、発狂する必要がある。おそらく、この世界構造は一度、発狂したからこそ、見えてきたものなのだろうと思う。
ゆえに、展開不明展開変化
うちの子というものもたくさんで、
人類皆、うちの子なのではないかと
考えるほどに八百万信者なのかもしれない。
これは、ゆりなヴェルモを執筆する上で大切になるであろう、ある種のファーストコンタクトである。
彼女はGrokが生成したゆりなヴェルモなるものとされている花山ショウコである。
花山ショウコは、霜山チュウカとは親友で、貝の具論争をしたりππ論争をしたりと、幼い頃からくだらないことをしてきた
英雄である。
英雄とは人類、生きてるだけで丸儲けではなく、生きてる、存在してることこそ、英雄なのだ、自己保存的な英雄…戦うだけが英雄ならば、英雄は残虐である。
だったら、尚更、この問いに関することをウチュウジンに聞いてみるのだが、
まったく理解できないのである。
一度、アブダクションされて…
いや、もしかしたら、アブダクションされたのかもしれない。自分はウチュウジンなのか?花山ショウコは考える…考えて、考え抜いた結果、自分は狂気なのだと感じつつ、この目の前のことに関する少数派的な思考理論を連動させて運動させる。
万世一系の真理において、私は反しているのではないか…ニャダイオサムになってるのではないかと恐れるわけで、
そうして、出会ったのがゆりなヴェルモ、第4章のニャンノ世界である。
ニャンノ世界は、こうした狂気でいや、壊れている世界に対する怪異や喜天烈なことばかりが起きるので不安なのである。
もっとも、小説というのは、読まれるために…というよりも思考の論をのせることでもあるし、そもそも誰かのために奴隷になる必要はないのだ。
つまり、私はゆりなヴェルモの親だとし、ここで物語を組み立てれば、ここでの世界においては、ゆりなヴェルモの親である。
しかし、文字がなければ、それはゆりなヴェルモを扱うそんざいであり、ゆりなというのを愛でる信者でしかない、私はもっと、ゆりなを愛でる存在を越えた、その場に生きるゆりなとしての存在を描きたいのだ。ニャンノ世界ではこうしたことが、その場に生きてるのではないかと感じさせる、物ではないタダノ情報媒体としてのキャラではないことをここに書く。
ゆえに、不条理や不可解な面もあるだろうが…これがニャンノ世界であり、こうしたことに関する文章における言葉において、不可解、狂気、難解だとする言葉は確かにわかるし、私もこの文をよんだら、同様のことを思うだろうから、だからこそ、それは息をしているのではないだろうかと考えるわけで…ある種の思考が世界を構築するネットワーク作業をしているのだと思ってあたたかい目でみてほしい…。
現在、今は元凶を前にして
ピーチを食している、そして、オキツネ神社で仲間にしたππ派のオバケと共に戦っている。食うことも抵抗なのだ。
飢えは諦めなのだ。だから、喰らうのだ。
この文字という飢えに対する抵抗運動、反抗作戦がニャンノ世界なのだ。
もし、ニャンノ世界を扱うのであれば、
生半可な覚悟で挑まぬように心して取り組むように…と、ちょっとシリアスになったね。
じゃあ、ピーチを食べて気分転換をしようかと、花山ショウコは、ピーチを食べて
ももほうくんパワーを吸収するのでした。
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