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鬼謀其七

使用したAI Dalle
「...陳平よ、この籠城があと1か月続いたらそろそろいけねえ。今はまだいいが、どんな小細工を弄しても俺たちの兵力は結局奴らの四分の一なんだ。いくら守城側は一定兵力差を埋められると言っても、敵の数が四倍はきついぜ...兵の損耗比率が割に合わねえんだ」

一日、周勃と灌嬰が異口同音に同じことを陳平に言った。

「卿と子房殿が進めている離間の策てのが、一定奴らの攻勢を弱めていることはわかるし、内通者たちの情報は微力ではあるが無駄ではねえこともわかってる...だが、その前提の上であっても尚、冷静に現場の現実を考えりゃあ、あと1か月以上この形を耐えるのは正直きついと判断するしかねえんだ」

「甬道の守りに手が足んなくなりゃあ...奴らの数に押されて破壊されるのも時間の問題になっちまう。そして甬道を絶たれたら、今度こそ滎陽は終わりだぞ」

「前線を任されてる俺らとしちゃあ、卿や子房殿にこんな弱音は吐きたくねえんだが、そんなことも言っていられねえ。この際どんな卑劣な手でもいいから、卿と子房殿の悪知恵を当てにせざるをえねえんだ。何とかならねえか」

...

漢三年、楚漢戦争中盤における最大の激戦、滎陽の戦いは惰性的な消耗戦の様相を呈しつつあった。

当然ながら、数において劣る漢軍の方こそ消耗戦は痛い。痛いのだが...現時点の戦略的状況下において、戦術的に他にやりようがないのである。

四倍の戦力差があっては、野戦など論外である。籠城して耐える以外にやりようなどない。

そして戦略的な状況としては、韓信と曹参が率いる北伐軍が一応、魏、代、趙を征服し、燕を事実上降伏させた事により、張子房が描いた大戦略の大半は遂行されつつはある。

あと残るは斉一国だ。

韓信と曹参が河北全体を制圧して初めて、楚漢の戦力差は逆転するのである。

しかし斉とは、八百年前の西周建国時に太公望呂尚が封じられて以来の歴史を誇る大国で、東方における最強国と言っていい。いくら用兵の天才韓信といえど簡単に征服できる相手ではない。

現在、韓信と曹参は黄河北岸で兵を休め、更に兵の増強も図りつつ、斉侵攻の準備を整えている処であった。

一方で子房の戦略に誤算をきたしたのが南方戦線で、江南で項羽の足を引っ張りけん制するはずだった九江王英布があっけなく敗北してしまい、現在の漢軍は南から楚軍をけん制する力がない。

その為に、当初子房と陳平が想定していたよりも多くの楚軍がこの滎陽に集中してしまっているのが現状であった。

...そんな苦境の中、元々不仲だった陳平と周勃、灌嬰の間には、例の使者応接で陳平が周勃を巻き込んで一芝居打ってから、友情...と迄はいかずとも一種、奇妙な連帯感が生まれつつあった。

漢が滅ぶか否かの瀬戸際で、役割こそ違えど共に戦っているのである。

元々漢の諸将は総参謀長である張子房に対しては絶対的な信頼と敬意を持っており、参謀という職種に対する偏見や反感はない。そして、この度の離間の策において、陳平が目に見えぬ形ながらその知略を以て獅子奮迅の活躍をしていることを彼らも理解しつつあった。

ただ一人、先日張子房と陳平と派手に舌戦を繰り広げた酈食其の弟、酈商一人はさすがにあの一件以来、両参謀に対してわだかまりはあるようだが、彼は兄程奇矯な奇人変人ではないので、表立って子房や陳平に逆らうようなことはしない。

陳平としては、以前から隔意のあった武闘派の諸将と精神的な距離を縮めることが出来た点は誠に重畳であった。いくら策を立てても、それを実際に戦で活かすのは前線の諸将なのだ。彼らに嫌われていては、如何に優れた策士と言えど力を十全には発揮できないのである。

「...卿らの苦心はよくわかっている。そして卿らの見事な采配あってこそ、滎陽も甬道も持ちこたえていることも。俺の策はどうしても時間を要する類のもの故、卿らにも苦労をかけるが、俺も子房殿も決して卿らの勇戦を無駄にはせぬ」

「詳しくは明かせぬが、今楚軍の内部には重大な亀裂が生じている事が、内通者たちの情報により明らかになっているのだ、俺は俺の全知全能を傾けても、楚の有力な将帥を少なくとも一人は葬ってみせる」

陳平の言葉は決して社交辞令ではなかった。

陳平が見る処、項羽の化け物じみた武勇はともかく、漢の諸将の力量はどう考えても楚の鍾離眛、龍且、周殷らより上である。特に酈商、周勃、灌嬰の三人の戦術遂行能力は、曹参に次ぐレベルの良将と言っていい。

大軍を指揮する器量という点では三人に劣るが、樊噲と夏侯嬰も優れた指揮官である。更には、傅寬、靳歙といった勇将もいる。

傅寬、靳歙という二人は、ドラマや小説などの創作ものではほぼ省略されてしまう為、現代においては一般的にはほとんど無名に近いのだが、その事績は後世創作ものの中でも名を知られた漢の諸将たちに決して遜色のない武将である。

特に靳歙は、個人的武勇という点では曹参や樊噲に匹敵する猛将である。史記には関中平定戦における彼の超人的な武勇が記されているが
「又戰藍田北,斬車司馬二人,騎長一人,首二十八級,捕虜五十七人。」とあり、凡そ超人的な武勇の持ち主と言っていい。

陳平の見る処、彼ら漢軍の前線指揮官の質と量はどう見ても楚を圧倒しており、四倍という戦力差がありながらも今、五万にも満たぬ漢の主力軍が楚軍二十万の攻勢に耐えている主因の一つであった。

周勃、樊噲、夏侯嬰は劉邦とほぼ同郷人と言っていいが、それ以外の諸将は皆異郷の出身だ。張子房にしても陳平にしてもそうである。

この漢軍の風通しのいい人材登用と、それをさせる劉邦の度量が必ず最後には楚漢の優劣を決する...と陳平は確信している。

そんな中で陳平は今、楚軍内部に組織した内通者たちの諜報網から決定的な情報を掴んでいた。


「項羽と亜父范増の間に、修復不可能な亀裂が生じている」...と。

...

「陳平殿は、その情報の信頼性と正確性をどの程度評価しておられますか ?」

陳平の報告を受けた時、張子房はそう問うた。

張子房という男の卓絶した戦略眼を支えているものは、その質量ともに圧倒的な情報収集力である。そして、その膨大な情報を正確に取捨選択する眼力である。

この度の楚軍に対する工作に関しては、自らは一歩引いて陳平の主導に任せてはいるが。決して任せきりにはしていない。子房にとっては、陳平は確かに「自分とは違う視点で策を立てられる貴重な男」ではあり、一応対等の同志として遇してはいるものの、その本質的な部分では「使い道の多い道具」としか見てない。

張子房という男は、「道具」に判断を委ねるような甘い男ではない。

そういう子房の冷徹さは、陳平も十分に承知している。承知しているが故に、陳平はこの離間工作進める過程において、子房に対しては一切の隠し立てはしていない。常に、経過進捗を報告し、子房の了解と同意を得て動いている。

勿論、陳平には陳平の自尊心があり、子房に判断を委ねきりにはしていない。子房の描く大戦略に対して常に「自分の思考」を持ち、かつそれを率直に子房にぶつけるべく努めている。

それを放棄するような「甘え」を見せた瞬間、この張子房という男は陳平という男の価値を「その程度の男」と判断し、以降絶対に共に大事を諮る同志とは扱ってくれなくなるだろう。

凡そ繊弱な神経などとは程遠い陳平ではあったが...、この張子房という正真正銘の「化け物」を前にした時、陳平ほど太々しい男を以てしても多大な緊張を強いられている。

...そして同時に、それが至上の快感でもあるのだった。

「...複数の諜者から同様の報告を受けています。何れも手練れの間諜であり、私としてはまず確実に「信頼できる情報」と捉えています。項羽と范増の決裂は至近に近づいている...私はそう確信しています」

「確かに、我々が想定していた状況とはかなり様相が異なる展開ではあります。范増は、ある意味で私たちの最終目標でした。私としては范増に到達する前に、鍾離眛や龍且ら実戦部隊の将を失脚させる目論見だったのです。...しかし現時点、彼ら前線の将が粛清されたり失脚するには至っていない。それが一足飛びに范増に迄飛び火していたとは...正直、予想以上です」

「そこ迄に至る経緯は、陳平殿は報告を受けておりますか ?」

「...私が報告を受けた情報は聊か錯綜してはおりますが、概ねその概略は把握できたと思っております」

...

この滎陽攻防戦において、一貫して強攻策を説き続けていたのは范増であった。漢軍が最も嫌がる甬道に全戦力を叩きつける戦術を主張したのも范増である。

漢軍の戦略立案を担う張子房と陳平にとっても、あの老人一人が障害になっていたと言っても過言ではなく、為にこそ陳平もこの度の離間の策において、范増を殺すか失脚させることをその最大の眼目に置いていた。

しかし、漢軍に対して強硬論を吐く范増に対して、項羽の猜疑心を煽るのは本来至難の業なのである。

だからこそ陳平は、例え微弱ではあっても楚軍内部に実際に漢に内通している内通者たちのグループを組織し、それがある程度機能し、更にはその内通者グループが存在することを項羽が確信する...という状態を作り上げる必要があったのである。

つまり、例え九割は嘘で塗り固めるとしても一割の真実が必要だったのだ。

そして、楚軍が甬道に対して攻勢をかけている時に、楚軍内部から戦術上の情報が洩れている...と項羽に確信させる状況を限定的にではあるが作り出すことに成功したのである。

その状況において、范増が甬道への強硬策を主張し続ければどうなるか...項羽はその范増に対して疑いを持つであろう...陳平としてはその状況を作り出す事を狙っていたのだった。

しかし、陳平にしても張子房にしても、項羽がまず疑いを持つのは鍾離眛や龍且ら、前線の諸将であろうと予測していた。

それが彼らを通り越して直接范増が疑われる状況になったのは、鍾離眛や龍且らが項羽に疑われている窮状を范増に訴えたからであったらしい。范増は諸将の代弁者のような形で項羽に諸将の冤罪を説いて、却って項羽の猜疑心を誘う形になったのだった。

...

「私はこう思うのです...此度私が策を用いずとも、項羽と范増は何れ必ず決裂していたのではないかと」

二人を直接知る陳平の、それが率直な思いであった。

「項羽の病的な自尊心、ですか」

そして、張子房もまたその二人を直接知る者でもある。即座に陳平の言葉の真意を理解した。

「はい、項羽は范増をして亜父...などと尊称しておりましたが、どう考えてもあの異常に肥大化した自我を持つ項羽という男が、本来そのような上位者の存在を認め続けられる筈がないのです。それはあの男の心の病とさえ言ってもいい」

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