...陳平が、韓信の下に蒯徹(史記では、武帝劉徹の諱を避けて蒯通と伝わる)という男が仕えている...と伝え聞いたのは、まだ漢三年、滎陽の戦いの最中である。
「蒯徹とは、かつて秦との戦いにおいて趙王(張耳)と陳余に策を献じた男の事ですか」
一日、陳平は張子房に問うた。
「左様、その蒯徹の事でしょう...秦の滅亡後、何処で何をしていたかはよくわかりませんが、いつの間にか韓将軍(左丞相・大将軍韓信)の帷幕にいるらしい」
「趙王(張耳)が、蒯徹を韓将軍に紹介でもしたのでしょうか ?」
陳平は、その点を知りたいと思った。
陳平は策士として、勘や本能的な感覚というものに余り重きを置く男ではなかったが、この時の陳平は確かに悪寒のようなものを感じていた。
「表面的にはそのような形だったようですが、どうも実際には蒯徹本人が韓将軍に何としても仕えようとして、趙王に仲介してくれるよう働きかけたらしいのです」
張子房の諜報網の質と量は相変わらずさすがというしかないが、彼の口調から子房もまた陳平と同様の予感を抱いているらしいことを陳平は瞬時に悟った。
そして子房もまた、その陳平の心の動きを即座に察した様であった。
「...陳平殿は、何か言いたいことがおありのようですな ?」
張子房と会話している時、陳平は己の思考力が何倍にも拡大していくような気になる。この稀代の天才は、陳平にとってはあらゆる意味で至高の触媒のような存在であるらしい。
故に、陳平は即答した。
「その蒯徹という男は危険です。今はまだ何も起きてはおりませぬが、今後、かの男の動きを厳に警戒すべきです」
...
子房は、柔らかい笑みを浮かべて陳平の断定を聞いていた。
「...ほう、陳平殿はなかなか狷介な事を仰る...蒯徹という男、かつての趙王への献策を見ればなかなか見事な見識と智謀を持つ男のようですが、陳平殿が言われる如く、我が漢に対してまだ何の害を与えた訳でもありませぬ」
「そして、韓将軍の麾下にいるという事は我が漢に仕えた...という意味でもありますが、その蒯徹を危険だと断定される理由は何ですかな ?」
子房の言葉は一見、陳平に対して疑義を述べている形を取ってはいたが、陳平は子房の心中をほぼ見抜いていた。
この稀代の天才戦略家は、恐らく陳平とほぼ同じ景色を見ている。
「...子房殿もよくお分かりのはずだ...蒯徹が、説客としてであれ策士としてであれ、その才幹を我が漢の為に生かそうとするならば、韓将軍にではなく我が大王(劉邦)に直接仕えようとするはずだと。韓将軍が転戦している河北の地から、この滎陽は黄河を隔ててそれほど遠い訳ではありません。蒯徹に我が漢に忠誠を尽くす気があるならば、この滎陽に来ればよい。ただ、それだけの事ではありませんか」
「韓将軍は、戦術家としては不世出の才能を有するお方ですが、あくまでも漢王の一臣下、前線の軍司令官に過ぎないのです。韓将軍は、どこまでも我が漢の大戦略に忠実に従う臣下に過ぎず、政略的、戦略的な意味での勝手な判断は許されてはいません。蒯徹が、その才幹を正しく我が漢の為に振るおうとするならば、その韓将軍の下にわざわざ付く意味がないのです。その裁量の余地が、韓将軍には本来ないのですから」
子房は、黙って陳平の言葉を聞いていた。
「...にも関わらず、蒯徹は我が大王に直接仕えようとせず、わざわざ大王の一臣下に過ぎぬ韓将軍に仕えたのです。しかも、かつての趙王への進言を見る限り、蒯徹という男は確かに並々ならぬ見識と智謀の持ち主であるにもかかわらず、です。子房殿は、「それ」が意味する処....その危険性をよくおわかりのはずだ」
陳平の言葉を聞いていた子房の表情から笑みが消え、やや沈鬱な面持ちに変化したように見えた。
「...さすがですな、陳平殿...今現在、我々は蒯徹という男についてそれほど多くの事を知っている訳ではない...にも関わらず、陳平殿はこの状況において私以上に蒯徹という男の思考を理解しておられるようだ」
「元々陳平殿は、韓将軍が漢王の下を離れて単独の軍事行動を起こすに際して、一抹の不安を持っておられた...韓将軍ご自身の忠誠心には疑いの余地はないとしても、韓将軍というお方は政治的な判断力において欠けているところがある」
「その将軍の欠点に、我らが関与しえない何者かが突け込もうとした時にこそ、我が漢にとって危機的な状況も起こりうる...陳平殿は早くからその事態を「ありうること」として憂慮しておられましたな ?」
陳平としては、その予測が現実化しそうな気配を極めて不本意ながら認めざるを得ない。
「...蒯徹ほどの男が、わざわざ韓将軍に仕えた理由はただ一つしか考えられません...即ち後日、韓将軍を擁して王と為し、我が漢より離反させて天下を狙う...それ以外にない。そのような大それた野心でもない限り、説明がつかないのです。恐らく蒯徹という男の心中には、我が漢の為に尽くそう等という心は微塵も存在しないでしょう。我らとしては、かの男を完全に敵として認識し、警戒するに如くはありません」
陳平は苦々しく吐き捨てるように、そのように総括した。
全く腹立たしい限りであった。
蒯徹という男は、同じく韓信が独自に召し抱えた李左車とは完全に別種の、最悪の意味で政治的な存在と認識する以外にない。
...「背水の陣」と共に韓信の軍事的名声を不朽のものとした井陘の戦いの後、韓信が独自に趙の元貴族であった李左車という男を召し抱えた情報は、張子房の諜報網によって既に陳平も知っている。
しかし、子房も陳平も李左車に対しては警戒する必要がないと判断していた。
李左車とは戦国末期の趙の名将李牧の孫と言われているが、韓信の下では純粋に軍事的な幕僚として完全に非政治的な存在であることがわかっており、子房も陳平も李左車に対しては警戒する理由を持っていなかった。
そして、その李左車が提案した持久戦によって燕を降伏させることにも成功したのである。子房も陳平も、その功績は正当に、かつ十分に認めている。
しかし、蒯徹という男はその李左車と同列に判断する訳にはいかないようであった。
陳平としては、あらゆる意味で苦々しい怒りを覚えざるを得ない。
...しかしこの後、陳平と張子房...というか滎陽に立て籠もる劉邦麾下の漢軍主力は、それ処ではなくなるのであった。