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鬼謀其五

使用したAI Dalle
「...何で俺が、卿と組まねばならんのだ」
周勃は、こぼした。

沛県の出身であり、劉邦の旗揚げ時からその麾下にいる周勃は、劉邦の子飼い中の子飼い...と言っていい。彼にとって劉邦の命は何よりも重い。

...しかし、である。よりによって、この野郎の指図で動かねばならんとは。

如何に劉邦の勅命と言えど気が重い。

その周勃の気鬱の原因となっている「この野郎」は、周勃の気分など完全に理解した上で、涼しげな顔であった。しかも、相当の美男子と来ている。それらが余計に、周勃を苛立たせた。

...勿論、張子房に次いで漢軍の副参謀長的な立ち位置にいる護軍中尉、陳平の事である。

...

「何だ周勃、その葬式にでも出かけるかのような面は」

陳平という男の舌には、毒でも塗ってあるに違いない...周勃は思った。

「うるさい、俺の仏頂面は生まれつきだ。そんな戯言にうつつを抜かしている暇があるか。さっさと、用件を言え」

陳平の官職である護軍中尉という職は、実はただの将軍である周勃よりも上なのである。しかも、諸将に対して指示を出す権限すらある。

この場においては、いくら沛以来の最古参とは言え、周勃と言えど陳平の「部下」ということになる。

「用件も何も、先刻の会議で大王から命を受けただろう。俺の副使として、使者として来る項伯と項荘の応対に出ろ。ただ、それだけだ」

「...俺は卿とは違う。自慢じゃないが、卿や子房殿のような学はない。それに気の利いた会話などできん。使者の応対など子房殿と卿でやればいい。儀礼を仕事にしてる酈生(酈食其)とか陸賈らの儒者もいるじゃないか...なんで俺のような無学者を引っ張り出す」

周勃としては、楚軍二十万に向かって先陣に立って切り込め...と言われても恐れるものではない。恐らく勝てはしないし、ほぼ確実に死ぬだろうが、項羽と一対一でやり合えと言われても、劉邦の命とあらば躊躇うことなく項羽に立ち向かって死ぬ覚悟もある。

...しかし、よりによって使者の応対とは、どう考えても向いていない。

そして、劉邦はそんな周勃という男をよくわかっている筈なのに...何でそんな命が自分に下ったのか、真剣に理解できない。

「...卿は沛で農民だった訳ではあるまい。確か織物を織って商いをやってたんだろう ? 会話が出来ないって...よくそれで商売をやれてたな」

陳平としては、別に周勃を愚弄している訳ではない。純粋に疑問を感じたのだった。

「...そうだ。だから上手い口上なんか言えないし、大して繁盛もしなかった。葬儀屋も兼ねてたのは、本業だけでは食っていけなかったんだ」

「そうか...卿も苦労したな。大王とはどこでどうして出会ったんだ」

周勃はおやと思った。何やら陳平らしくない...この頭の良すぎる男は、俺なんぞ無学者と馬鹿にしているものとばかり思っていたが。

相手が陳平であっても、劉邦の話ならば口下手な周勃でも、いくらでも語れる。

...

「大王とは沛の酒場で出会ったんだ...その時、俺は商売がどちらも上手くいかず、途方に暮れてた。もう死にたい位の気持ちでなけなしの金をはたいてヤケ酒を飲んでいたんだ。そしたら、大勢の舎弟を引き連れて酒場に入ってきた大王が話しかけてくれてな」

周勃は、その出会の記憶は生涯絶対に忘れないだろうと思う。

「大王の事は噂位には聞いてたさ...劉家の三男坊...悪い噂の方が多かったけどな。真面目に働きもしねえで、遊び歩いてる男...てな」

「劉家てのは確かにただの農家だが、小さい農家じゃなかったんだよ。結構デカい規模で使用人もいて、金持ちではないにしても金に困ってる家じゃなかったんだ。そこで大王は働きもせずに親父とか兄貴たちの金で遊び歩いてんだ...最初は俺も近づこうとは思わなかったんだよ」

「大王らしいな」
陳平は、思わず笑いを誘われた...「遊び人」劉邦の姿が目に浮かぶようである。

「...俺はしゃべるのも上手くねえが、そもそも人と付き合うのが苦手だったんだよ。そんな俺なんだが、気がついたら大王と酒を酌み交わして、普段のうっ憤やら、商売がうまくいかず、生きてるのが辛いとか何とか...全部しゃべっちまってたんだ」

「あの時の俺は本当にどうかしてたとしか思えねえんだが...したたかに飲んで飲まされて、酔い潰れて気がついたら、俺は大王の舎弟の一人という事になってた。しかも、俺の酒代は、大王の舎弟の誰かが払ってくれてたらしい」
(劉邦は、盛り場で飲み歩いても酒代すら払わなかったと伝わる)

「...その後、どういう訳か急に俺の織物を買ってくれる客が増え始めた...葬儀屋の仕事も俺に頼んでくれる人が増え始めたんだ。後で知ったが、大哥(兄貴)...じゃねえ、大王とその舎弟たちが俺の商売を沛の街で宣伝してくれてたらしいんだよ」

陳平は...極めて珍しい事ではあるが...黙って周勃の語るままに任せていた。

「俺は勿論感激した...そして思った、大王の為ならば俺は命も惜しくねえ、いつだってこの人の為に死んでやるってな。」

...

「...周勃よ、卿は心底大王に惚れているのだな」

「当たり前だ」

「俺も、そうだ」
陳平は断言した。この男が、劉邦と張子房以外の人間に対して己の心情をあけすけに話すことは極めて珍しい。

「...」
周勃は絶句した...何と返答すべきかわからなかったのだった。

「信じられぬか ? 先だっては灌嬰と共に、俺を退けようとした卿だ。俺の口先だけの嘘だと思うか ?」

「...い、いや、そんな事はないが」
周勃としては、この滎陽で張子房と共に日々策を練る陳平を見て、今はこの男を獅子身中の虫とは思ってはいないし、漢と劉邦に対する忠誠についても疑ってはいない...いないが、忠誠心はともかく、この怜悧な策士の口から「惚れている」等という情緒的な言葉が出てくるとは予想外であった。

「先刻の会議でも言っただろう。大王は俺の献策を無条件に信じて下さり、その上大量の資金も完全に俺に裁量をお任せくださった上で賜ったと」

「卿も知っての通り、俺は魏と楚に仕えていた男だ。そして其の二国を裏切って今は漢にいる。何故だと思う ? その二国では、俺の献策など相手にしてもらえなかったからだ。その点では韓将軍(韓信)と同じだ」

「俺も卿や大王と同じだ、何の門地も持たぬ一介の庶民の出でしかない。そんな俺がいくら懸命に国の為の策を説いても、魏でも楚でも誰も相手にしてくれなかった。しかし、我らが大王を見ろ」

「楚から逃げてきたばかりの俺を一回会っただけで都尉(現代では連隊長、大佐程度に相当する)に抜擢され、更には同じ馬車への陪乗を許され、俺が献じた策は悉くお聞き入れ下さり、卿と灌嬰が俺を退けるよう進言した時にも、魏無知殿と俺自身の弁明をお聞きになってすぐに疑いを解かれ、更には護軍中尉(現代の軍制では大将級の地位)等という重職に抜擢された...卿に俺の感激がわかるか」

周勃は、普段は飄々としている陳平の異様な「熱」に、返す言葉を失っていた。

「地位どうこうは本質ではない...俺にとって、俺が献じる策を悉く用いてくださる主君がおわす事が重要なのだ。卿は将軍だが、俺は策士だ。策士とは如何なる妙策を立てようとも、それを用いてくださる主君がいなくては国に対して何の役にも立たぬのだ。俺の策を用いてくださる主君がいて初めて、俺は国の役に立てるのだ。その主君に巡り合えた俺の感激が卿にわかるか」

「わかるはずだ。沛で大王の知遇を得て、卿の人生は一変したのだろう...卿がどれだけ感激したか、俺にもわかる。俺も大王に巡り合って、同じ思いを持ったからだ」

...

「なぜ、そんな事を俺に話す」
周勃は、やっとその一言だけを絞り出した。

「...さあ、何故かな ?」
陳平としては、柄にもない事を口にした...という気もしないではなかったが、周勃だからこそ言っておきたかったのだ、という気もした。

「...ただ、一つだけ言っておく。これから俺たち二人がやる事に、我が漢という国と、大王の命運がかかっているのだと肝に銘じろ。この度の使者応接は、それほど重要な任務だ」

「卿が進めている離間の策の成否がかかっているという意味だな...それは先刻も大王が仰っていた。しかし、ならば猶更、俺のような口下手な無学者が出る幕じゃないだろう。卿と子房殿の仕事だ」

周勃としてはそんな陰謀を巡らせ、かつ遂行する力がものを言う場面には心底関わりたくない。自分の口下手が何かの失敗につながり劉邦の命取りになるようなことになっては、それこそ死んでも死にきれない。

「...俺は別に、卿が俄作りの策士や能弁家になることを期待していないし、そんな柄にもない真似をしろと命じる気はない。そこは安心しろ。卿は卿のままでいればいいのだ。いくら卿が口下手でも、俺たちの策の内幕をバラすほどの馬鹿ではあるまい。それだけ弁えていればいいのだ」

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