ログインする ユーザー登録する
投稿企画「#七夕2024」開催中!特設ページへ ▶

張耳と韓信 其二

使用したAI Dalle
陳平は、かなり思い切った言い回しを使った。

陳平は最早、この張子房という項羽とは違った意味で人間離れしている妖怪のような男を相手に、腹芸など使って時間を浪費する気はない。

この男の物事を見通す眼力を前にしては不毛、かつバカバカしい限りに思え、そんな気にすらならない。

「新しい時代...とは、陳平殿も面白いことを仰る」

「...まだ魏は陥ちておりませぬが、大将軍の手にかかれば赤子の手をひねる様なものです。魏豹如き小人が、大将軍のような千年に一人とでも言うしかない用兵の天才に勝てる筈がない。魏は数日で陥ちるでしょう。問題はその後の事です」

「その後の事とは?」

その後の事、については韓出身である張子房にも大きく関わりがある事だが、陳平は単刀直入に切り込んだ。

「大王(劉邦)から、丞相(蕭何)の戦後処理の方策については概要を伺っています。大王は魏を陥とした後、代わりの王を立てる意志はない、と。丞相はその方針に基づいて、魏の地をいくつかに分割して郡を設置し、それぞれに太守を任命されるとのことです」

漢はこれまでに、いくつかの王国を滅ぼしている。

三秦については元々が旧秦王国領であり、本来関中の王になるべき身だった劉邦と漢にとっては滅ぼしたというより回復した、という表現が実態に近い。

司馬卬が王を務めていた殷の地も直轄領に編入しているが、殷は戦国期の旧六国ではない。

しかし、旧六国の地だった韓については漢王朝は直轄地にはせず、実態は属国とは言え韓信を王に立てることを許しているのである。

これは、漢王朝と劉邦が天下を取った後でも、一部封建制を残す意図を明らかにしたことになる。つまり、漢王朝は秦帝国とは違うという事を天下に明らかにしたことになる。

しかし、魏を陥とした後にその存続を許さず、別に王を立てることもせず、郡を設置して太守を任命するとなると、それは三秦や殷を滅ぼした時とは全く違う重大な意味を持つのだ。

元々秦領だった三秦の地や、強国間の緩衝地帯のようなものだった殷の地とは訳が違う。魏は歴とした戦国七雄の一国である。

その地を征服した後に、例え属国としてでも存続を許さず郡県制を布くという事は、張子房の祖国であり、最初から漢に忠実だった韓は例外として独立と存続を認めるとしても、漢王朝は基本的には秦帝国と同様の中央集権志向を持つという意味になる。

陳平は考える。

劉邦も、丞相蕭何を筆頭とする漢王朝の政治行政スタッフ陣も、基本的には独立王国の存続は認めたくないのだ。

陳平にも、その理念は理解できる。

確かに秦帝国は民心を失い、大規模な反乱によって滅亡したが、その中央集権体制と郡県制自体が間違っていたとは陳平には思えない。

秦帝国が過ちを犯したとすれば、民衆への重すぎる負担、苛政であって、郡県制そのものではない。

今、漢王朝が西楚の覇王項羽と戦う理由が、戦国七雄の昔に戻す為だけというなら余りにも、歴史の進歩という観点からして虚しすぎる。

どちらかと言えば老荘的な一面を持つ陳平には、古代の西周初期を神聖視して絶対視し、その当時に回帰すべきだ....などという儒教的幻想もない。

中央政府から見た合理性と統治効率からして、郡県制の利点を認めることに全く抵抗感はない。

しかし現状、漢の実情はその理想を強行できる状態にはないのもまた、事実であり現実である。

韓に対しては、現王韓信の忠実さには信頼がおけるし、張子房の母国である以上は劉邦も蕭何も韓の独立性に対しては一定の配慮はせざるを得ない。

更には、九江王英布も味方に引き入れる以上は、その王の地位は尊重せざるを得ない。

また現時点では必要が生じていないが、梁の地でゲリラ戦を担当する彭越に対しても、いずれはその地位を王として認めざるを得ない時が来るかもしれない。

更には張耳に対しても、今後の北伐で功を立てた時には、趙王なりの地位を保証することになろう。

張耳の忠誠心は信頼がおけるし、その息子張敖は劉邦の娘婿になるのだ。父に似て温厚な為人でもあるし、その忠誠心は信頼を置いていいだろう。

現状を総括しただけでも、最低限これらの王に対しては、その地位を保証してやる必要がある。

楚漢戦争の真っただ中である現在、そうしなければ再び楚を包囲する為の戦略が成立しないし、楚を滅ぼした後の政局運営を考えても、秦に滅ぼされた旧六国の反秦感情と、封建制の歴史を考慮すると、漢帝国が全中国を一元統治する...という歴史的段階には恐らく現在はまだ到達していない。

しかし、絶対の前提が「そこ」には存在する。

つまり、彼ら諸王は全て、いずれ皇帝になる劉邦と漢「帝国」に対して臣従し、その宗主権を認めなくてはならない。

例え一部封建制を容認するとしても、漢帝国としてはその一点だけは絶対に譲れない。でなければ、天下は再び戦国乱世に逆行してしまう。

韓王韓信といずれ趙王になる張耳張敖父子に関しては、その忠誠心に問題はないであろうが、他の諸王はどうか。

魏豹には「それ」が、「新しい時代」のありようが理解できなかったのである。

陳平が思うに、彭城に至るまでの行程の中で劉邦が諸王に対して傲岸にふるまったというのは、半ば彼本来の本性だとしても、半ば確信的な計算の上での振る舞いだったのではないか。

結果論としては、彭城で大敗戦を喫してしまい漢の天下は敢え無く瓦解してしまったのだが、その敗戦までは漢による天下はほぼ既定の事実だったのである。

その後の天下を考えた時、いくら項羽を討つ檄文の中では「諸王に従って」と謙って見せたとしても、現実問題として劉邦が諸王の上に立つ事になることは自明の理だった筈だ。

元々事実上漢に臣従していた韓王韓信と恒山王張耳は「それ」に不服はないとしても、魏豹や陳余らの諸王は「それ」を理解してはいなかっただろう。

故に「それ」を知らしめる為に、この後は諸王と漢王劉邦は対等の立場ではないのだと知らしめるために、劉邦は敢えて諸王に対して傲岸に振舞ったのだと陳平は考えている。

そこまでは、まだいい。

「いずれ皇帝となる劉邦が、諸王の上に立つ」ということは、別な視点から言えば「漢に忠誠を誓えば、一部封建制は認める」という意味でもある。

しかし此度の魏討伐戦の後、魏の存続を認めず郡県制を布くという事は、漢「帝国」が総論としては秦帝国と同様に中央集権体制を目指すという意志表示にもなるのだ。

...

「陳平殿は、私に何か問い質したいことがあるようですな」

張子房の女のような繊細な顔に一瞬、鋭利な刃のような影が奔ったのを陳平は見逃さなかった。

胸元に白刃を突きつけられるような冷たい感覚を陳平は覚えたが、陳平としては共に天下の大事を計る以上、この一点だけはこの人間離れした頭脳を有する"同志"の本心を質しておきたかった。

呪文

入力なし

Freedom_Samuraiさんの他の作品

Freedom_Samu…さんの他の作品

すべてを見る

おすすめ

Amazon

トレンド

すべてを見る

ユーザー主催投稿企画

すべてを見る

新着イラスト

すべてを見る

ちちぷいグッズ

ショップを見る