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神話の章
•創世記(あいばのうさぎ記)
•ユーニャルーラ記(人と亜人に分かれた話)
•らけしで記(法律やルールが生まれた話)
•シトラス記(魔物が生まれた話)
遺跡の章
•紀元前60000年 旧石器時代
•紀元前9000年 中石器時代
•紀元前5000年 新石器時代
サラトバの章
•紀元前3599年 サラトバ王国誕生
•紀元前3300年 銅器時代
•紀元前2300年 青銅器時代
•紀元前2200年 寒冷期
•紀元前1200年 鉄器時代
•紀元前1000年 第一次内乱期
•紀元前900年 第二次内乱期
戦国時代の章
•紀元前870年 サラトバ王国が崩壊し七王国に
•紀元前800年 七王国が三王国に
•紀元前757年 レスランドが治める海よりの1地域にてルンガ•ウェスティリアなる若者が反乱軍を率いてレスランドの地方役人に反乱開始
ウェスティリアの章
•紀元前758年 ウェスティリア独立
•紀元前758年-紀元前715年 建国王の時代
海の見える丘「mare collis」に壁を建設して建国を宣言。当初はmare collisを名乗る
直属軍「legio aquae」創設
反乱初期に参加した人々を貴族とした「auctor」創設
庶民階級「tributarius」創設
湿地帯の東西南北に居住区建設
川の周囲に2つの居住区と壁を建設
salsa flumenに住むeliquarenと交流を図るも断られたので報復としてeliquarenの若い女性ばかりを掠奪
これに怒ったeliquarenの人々がルンガ•ウェスティリアに激昂し各都市に不正を訴え、これに応えたグランゼンの人々やeliquaren人はmare collisを非難するがルンガは一蹴。
mare collisの蛮行にferrum urbem•dente pisces•iustum aurumというmare collisと敵対する3つのグランゼン及びeliquaren人の国々が挙兵しeliquaren戦争が勃発する
苦戦の末に勝利しferrum urbem•dente pisces•iustum aurumをmare collisに併合
eliquaren人でleviter altaの長ティティ•アルタニスが様子見を終えmare collisに進軍しbellum collisが勃発。初戦はティティの策謀に敗戦。軍備を整え臨んだ二度目の戦争にルンガは勝利しティティの捕縛に成功。処刑しようとしたルンガに対しeliquaren人が寛大な処置を求めたので、これに応えティティを軍師として迎え更にleviter altaを併合。
王直属騎士団「Mare apertum」創設
王国騎士団「torrens」創設
治安維持隊「tranquillitas」創設
神殿法の制定
法律の制定
紀元前750年に軍師ティティが暗殺される
紀元前748年mare collisの勢いを危惧したグランゼン人都市orienscollispesとの間で第一次orienscollispesの戦いが始まりこれに勝利しorienscollispesを併合
sepultura市のgravis人はorienscollispesがmare collisに負けた事で危機感を持ち第一次sepultura戦争を開始。3日間の戦で大勝したルンガはShioda Islandという名の中州を割譲条件にした和平交渉を提案。sepultura市はこれを受け入れ以後100年の平和が続く
貴族に暗殺される
•紀元前715年-紀元前641年 内政王
ルンガの長男であるポピ•ウェスティリアが第2代ウェスティリア王に即位
職業ギルド創設
祭祀場の建立
宣戦布告の制度化
貴族院の設立
王の継承順位を制度化
刑法民法の制定
•紀元前641年-紀元前616年 要塞王
ポピの長男であるトゥッティ•ウェスティリアが第3代ウェスティリア王に即位。
国名をウェスティリア、首都名をウェスアに変更する。
戦争に備え各地に軍事要塞を建てる
グランゼン人の都市国家 Urbs Rubri Montesと農地の境界線を巡る問題をポピ王の頃から抱えていて話合いで解決策を探っていたが上手くいかず又、小競合いによる武力衝突も度々起きていたのでトゥッティは軍事力を持って境界線を制定する事を決め進軍。圧倒的武力により勝利し境界線を制定。この時はUrbs Rubri Montesの長や役人の処刑は行わなかった。
境界線を制定されたUrbs Rubri Montesの長メッスフェ•ウラブスと民は不満を持ち続け計略を持ってウェスティリアを滅ぼさんとeliquarenとsepulturaの民を扇動し暴動を発生させ第二次eliquaren戦争が発生。
トゥッティは黒幕の計略を上回る策を持って潰しeliquaren•sepultura•Urbs Rubri Montesの兵士を大混乱に陥れさせ多くの敵兵を殺害し勝利した。
戦勝記念パーティにて扇動者メッスフェ•ウラブスを非難する演説をした後、見せしめとして処刑した後にUrbs Rubri Montesに住む人々をウェスティリア国民として各居住区に移しUrbs Rubri Montesを人が住めない軍の訓練地にした。
貴族院議会場「tuttiproelii」建設
落雷によって死去
•紀元前616年-紀元前578年 干拓王
トゥッティの長男クア•ウェスティリアが第4代ウェスティリア王となる
グランゼン人同盟市はウェスティリア拡大を危惧し首都周りの地域に侵入を繰り返し略奪や破壊を行う。当初は損害賠償を求めていたクアだったが軽蔑的返答に終始された為にグランゼン人同盟市に対して宣戦布告を行う。
最初にグランゼン人同盟市のcivitas fortitudinisを襲撃し街を徹底破壊し住民を連行、ウェスティリア国民にし領土拡大を名目に街を造らせ彼等をそこに住まわせた。
次にLunam oppidum•elegans urbsのグランゼン人同盟市を襲撃し略奪と破壊を繰り返した。
最終的にグランゼン人同盟市軍駐屯地があるpetrificatus urbeに焦点を当て攻撃し勝利に導くと多くのグランゼン系市民をウェスアに連れ帰る事に成功。そして彼等を使いウェスア周りに居住区域を造らせ定住させる事により領土を拡大させた。
技術に長けたグランゼン人系国民が増えたのでクアは彼等に指示し、移動が容易で頑強な橋を造らせ、各街の壁を強固に、飲料水を確保する為の水道工事を、飲料水と生活排水が交わり水が汚染する事を防ぐ為の下水道工事をさせ、deus aqua collis地区、salis collis地区と後の世に呼ばれる場所を人口増加のために整地させた。
住民も増えた事による犯罪も増加したのでcarceris desiderioと呼ばれる牢獄を建設。
湿地帯や海によって居住区域が少なく塩害等で農作物や水もまともに飲めないので生涯に渡り干拓事業に心血を注ぐ
海岸線を遠ざける為と塩田を増やす目的でUrbs aqua et saleという海辺の民が住む街を埋め立てる為に工事を開始するも、海辺の民がこれに反発、反乱が起きたのでこれを制圧し海辺の民を屈服させウェスティリア国民とし領土と国民と漁港を手に入れると海辺の民に製塩所の製造を指示。
urbs cibusというグランゼン本土の鍛冶師が使う火種用の木材を植林していた街をグランゼン同盟市より奪った。
奪った土地土地に祭祀場を建設
貴族院議員を増やす
軍人を増やす
•宣戦布告令を改正
•側近のクーデターによって暗殺
•紀元前578-簒奪王
クアを暗殺した側近デリントスが第5代ウェスティリア王を自称し政を開始する、クアの親族は間一髪で逃げることに成功し各地で武力を整え王都に凱旋。クアの長男ウィウィがデリントスを討つ。支配期間は4ヶ月程だった
•紀元前578年-紀元前534年 庶民王
ウィウィが第6代ウェスティリア王になる
クーデターに加担した者達の捜索と処罰と王宮改革が最初の仕事であった。
ウィウィのウェスティリア王としての初陣はgravis人が治める町ピエに対してで、これに勝利すると先代の王達が結んできた平和条約を破棄し領土拡大の為に次々にgravis人同盟市を襲撃しウェスティリア国民に組み込んだ。
貴族院議会にウェスティリア国軍legio aquaeの武力増強と軍人の倍増を提案し数ヶ月の議論の末に認められる。
gravis人同盟市を征圧するとウィウィは塩の川の中流付近に住むeliquaren人に目を付け攻撃を開始。市街地戦などの苦しい戦闘を強いられるもこれに勝利し塩の川中流のeliquaren人を屈服させ和平交渉でコラの街を割譲しウェスティリアの領土とする。
連戦連勝の勢のままeliquaren人同盟市であるフィア•カリ•クルウ•リメア•デュメイ•タンムを征服しウェスティリアに加える。
ウィウィも先王と同じくグランゼン人同盟市との和平を求めたが彼等に拒否されると逆に7つのグランゼン人同盟市から宣戦布告をされる。
戦争中にorienscollispesを占領されるなど苦戦を強いられるが血生臭い戦いの後に勝利を収め逆に7つのグランゼン人同盟市を占領しウェスティリアに組み込み国を豊かにすることに成功する。
各地の有力者や行政経験者をウェスティリア貴族に加える。
貴族院議会を改築しこれを機に貴族院議会を上院と下院に分ける
公共事業として他国の侵略を防ぐ為に壁の建設を開始
王位継承権を含む王室法を改正
貴族院議会からの緊急時の権限強化の提案を承認
王妃の意向に沿った親類によって暗殺される
•紀元前534年-紀元前509年 酷使王
王妃は弟皇を即位させようとするが貴族院議会が阻止し兄皇ニウウ•ウェスティリアを王室法に則り第7代ウェスティリア王に即位させる。
ニウウは母と弟を追放、父を暗殺した者を処刑。
グランゼン同盟市会議(初期はウェスティリア王国周辺に存在するグランゼン人の同盟市同士の相互防衛機構であった)をニウウは招集。この会議の中でmontem civitatemの長ヘルル•ニウドはニウウの卑劣さ冷徹さ悪辣さ傲慢さを見抜き会議にて彼を非難し同盟市の同胞に彼を信用するなと主張。メンツを潰されたニウウはヘルルを自らを暗殺する計画のある野蛮人に仕立て又、同胞の行いに罪悪感を抱くように会議の最終日迄に計略と調略と賄賂を持って作戦を実行に移し計画通りにヘルルを陥れグランゼン人同盟市に対してウェスティリアに二心は無い事、平和を維持したい事、そのために同盟は必要であることを説き敵で無い事を証明させた。この会議の後にニウウはヘルルを処刑しヘルルの懸念通りグランゼン同盟市会議はウェスティリアが主導権を握り戦争が始まればウェスティリアの要請によりグランゼン人が最前線に赴く事になった。
ニウウは首都ウェスアから南東にある山と湿地帯に住むpurpura族の街メッセメに目を付け偵察を送り資源が豊富で富に溢れている事を確認すると貴族院議会にて戦争を扇動する演説を行うも貴族院議員の中に懐疑派がおり承認がおりない。これに業を煮やしたニウウは先王派の貴族院議員を次々に暗殺、更に貴族院議会の権限を縮小し議員の権限を剥奪し抗議する者は投獄する旨の国王令を発布し政を恐慌に陥れる。議会を掌握するとpurpura族との戦争を開始しこれに勝利し富をウェスティリアにもたらした。
ニウウはウェスティリアとの和平を拒否したグランゼン人同盟市の1つで「要塞の沼」と呼ばれるSTERCUS paludisという街を女性を使い、標的を篭絡。扇動者を送り込みデマを流布し不安を駆り立て、噂で対立を起こし街を内部崩壊させる事で勝利した。
次に植民市を増やす為にeliquaren人の街であるセグとルセを戦によって手に入れる。
先王が建てたeliquaren人の祭祀場や先王の生家を破壊して闘技場を建設
ウェスティリア王国民を酷使して居住区域の建設とそれに伴う苛烈な税の取り立てにより貴族院議員と王国民と植民市民の恐怖と怒りが貯まる中でニウウは国民の怒りを鎮める為にトゥリ人が治める裕福な都市デーアとの戦争を開始するも戦況は芳しく無くニウウはデーアを長期間包囲する飢餓作戦を実行に移す。この間もニウウは自軍の為にウェスティリア王国民に食料の徴発で苦しめ、王国民が苦しんでいる側で王妃が散財したりニウウの二番目の息子が戦場での狼藉を働き、三番目から5番目の息子も国民の評判が最悪な為ウェスティリア王国民の怒りが頂点に達する。
ウェスティリア貴族院議会にて貴族院議員のルース•ラッティは国王の非道と王子達の狼藉を非難する演説を行いニウウ王と王子達の追放を要請。又、後継の王にはニウウには阿呆と罵られていた1番目の王子を即時国王にするべしと力説し貴族院議会が喝采に包まれる。この演説後に王都の国民にも同様の演説を行い、国民は王の追放と1番目の王子の即時戴冠を貴族院議会に要請した事でクーデターが勃発。
クーデターの報せを聞いたニウウはデーア包囲戦を止めてウェスアに帰還するも王都及び自国の都市の門は閉ざされて入る事すら叶わず更に付き従っていた軍人達にも離反者が出始めて命の危険を感じたニウウはグランゼン人同盟市に二番目の息子と共に亡命。この混乱に乗じて王妃は逃亡したが生死は不明である。
•紀元前509年-紀元前477年 神殿王
第8代ウェスティリア国王にニウウの1番目の王子であるブルート•ウェスティリアが即位。
逃亡したニウウはsepulturaやorienscollispesにウェスティリアの不正を訴え玉座奪還の支援を要請。奪還の暁には両都市の優遇を約束した為に両都市は軍をウェスアに進軍。
ブルートは宰相職を新設しルース•ラッティを任命
ニウウは和平交渉使節をウェスアに極秘派遣し貴族議会にて表面上はニウウの個人財産返還交渉及び停戦交渉を行っていたが、裏では賄賂によってニウウ側に取り込む玉座奪還作戦を実行。あと一歩の所で発覚し陰謀に関わった者は王名と宰相名により処刑。ブルート王はニウウ討伐命令を発令、将軍にルースを任命する。
紀元前509年、ウェスティリアとsepultura&orienscollispesの間でルシ•シルの戦いが勃発。最終的に勝利するもルースがニウウ側に付いた弟と相打ちになり戦死。
ブルート王はルースの死に対して1年間の喪に服す事を国民に通告、空席の宰相職にプリクリ•ピティを任命するも高齢のため数ヶ月後に死去。ブルート王は宰相職に空白を出さない為にホルス•イッスルを任命
ニウウはsepulturaとorienscollispesを使った玉座奪還に失敗するとグランゼン同盟市最大の都市クウムの長ヌプル•ラスラに支援を求めヌプルはニウウの要請に応じウェスアに進軍。
ヌプル進軍の情報を得たブルートは元グランゼン同盟市市民で現ウェスティリア国民の離反を恐れ免税政策を発表、貴族院議会は元同盟市から穀物を高値で輸入する事を議決、宰相は塩の値段の高騰を抑える政策を提言し元同盟市市民の離反を抑えウェスティリア国民を団結をさせた。
紀元前508年、塩の川のキプス橋をクウム軍が強襲し戦争が勃発。ウェスティリア軍は強襲で混乱し損害が出るもキプス橋を崩落させて撤退。作戦に失敗したヌプルはウェスア封鎖を決断し河川封鎖や補給路遮断の持久戦に持ち込む。宰相ホルスはブルート王に夜襲ゲリラ戦を提案し、承認されると夜な夜なゲリラ戦を展開しクウム兵を減らしていくが封鎖の影響が徐々に出始めジリ貧に陥る。そんな中で若き貴族ガス•ムースは貴族院議会にヌプル暗殺を提案、議会はガスに実行命令を下す。
脱走兵を装いクウム陣営に紛れ込むがヌプル暗殺に失敗し、捕らえられヌプルの前に突き出されるもガスの精神に感銘を受け自陣の使者と共にウェスアに送り返す。
交渉はウェスア撤退の条件としてルシ•シルの戦いで得た領土の返還、賠償金の支払い、ウェスティリア国民の一部を奴隷にしてクウムに提供、ニウウの帰還と王への復帰であった。宰相はニウウ案件は断固拒否した為に纏まらないと思われたが急転直下で交渉が纏まりウェスティリアの敗北に近い講和が合意されクウムのウェスア包囲は解かれた。ニウウは包囲が解かれた事を知ると姿を消して行方知らずとなった。
ブルート王は危機感を募らせ王国改革を実行、兵や騎士の団結と連携そして意見を集約する機関「foederatio aquae」。次に貴族の意見を集約する「foederatio auctor」。最後に市民の意見を集約する「foederatio vocum」を設立。
王は王国の現状を知るべくウェスティリア初の国勢調査を命じる又、宰相ホルスはクーデター法の改正を実施。
紀元前507年、クウムの長ヌプルよりウェスティリアに使者が遣わされニウウの復位を要求。宰相ホルスはこれを拒否したが前回よりも多い賠償金を支払った事により手放した領土と人質が返還された。
紀元前505年-紀元前503年、eliquaren人との戦争が勃発するも勝利。この時eliquaren人の有力者ティッピ•インレックスと親族がウェスティリアに亡命しウェスティリア国民となる。
紀元前503年宰相ホルスが亡くなる。ブルート王は国民に1年間の喪に服す事を命じる。第3代宰相にミリウス•ププトスを任命
紀元前501年eliquaren人がウェスアにて誘拐事件を起こす。宰相ミリウスは平和裏に解決しようと動くがeliquaren人がこれを拒否して宣戦布告を行うも宰相ミリウスの説得により戦争は回避された。
紀元前498年グランゼン人との戦争が勃発
紀元前496年レック川にて復讐を誓うニウウとグランゼン同盟市の長の一人であるオクタ•マウスが激突するも辛くもこれを退ける。
ブルート王は国内改革に着手し平時は国王と貴族院議会の橋渡しを行い戦時には戦争を指揮する提督職を新設。初代提督にティッピ•インレックスを任命。
紀元前495年、ウェスティリア貴族と平民の間で度重なる戦争の為に税の取り立てが厳しくなった為に平民が借金をし返済出来ず奴隷や犯罪者になったり徴兵義務を拒否する社会問題が発生し対立が始まる。ティッピ提督は貴族側に立ち厳しい姿勢で臨むべしという立場を示し、宰相ミリウスは市民側に譲歩すべしという立場を示した為に政治闘争に発展。又、ルゥオス人がヘニ人と同盟を締結しグランゼン同盟市に支援要請を行うが塩の川にてウェスティリアに敗北したグランゼン同盟市はウェスティリアとの再度の戦争を懸念しルゥオス人の使者を拘束しウェスティリアに送りルゥオス人によるウェスティリア侵略計画を伝えた。侵略の報せに市民はfoederatio vocumを開き「貴族が勝手に戦え」という市民の声を集約して貴族院議会に突きつけた。この緊急事態の打開を貴族院議会は宰相ミリウスに求めミリウスは市民や借金にて投獄されている者が戦争に参加し勝利した暁には「借金帳消し」「投獄されない」「奴隷にされない」「債権者の横暴を許さない」「債権者の生活を守る」という打開策を宣言し市民の結束を高め出陣しルゥオス人軍を迎撃し勝利するとルゥオス人都市ツエイアに進軍し占領•略奪を行い戦利品を軍務に就いた市民に分け与えた。同時期にeliquaren人がウェスティリアに進軍との報を受けると提督ティッピが軍を率いアリ川に迎撃し勝利。この直後ウェスアにアルキ人の使者が到着しルゥオス人領から撤退しなければ戦争をすると通告。貴族院議会は国の防衛を固めつつ伝令をミリウスに派遣。伝令の報せを聞いたミリウスはリッア近くでアルキ軍と激突して勝利。
戦後に提督ティッピは貴族院議会広場にてルゥオス人捕虜を処刑し、帰国した宰相ミリウスの戦利品を兵士に分配した事と市民側に立ちすぎている事を非難した。又、債権者や借金者等の市民が戦前の約束を果たせと声をあげると提督ティッピは宰相ミリウスの約束を無視し苛烈な仕置を断行し市民を恐怖に陥れる。市民はミリウスに救済を求めるもミリウスは何も出来ず求心力を失っていく。
市民が提督ティッピの横暴にキレて暴徒化すると暴動者を次々と逮捕し見せしめとして処刑、責任は宰相ミリウスにあると再度非難演説を行った。
紀元前495年ニウウが人知れず逝去
紀元前494年に周辺国に不審な動きがあると感じた貴族院議会は市民の徴兵を宣言するも提督ティッピの政策に堪忍袋の緒が切れていた市民達はこれを拒否し始まりの丘と黒き丘に立て籠もり、逆に制度改革を訴える。これに対し貴族院議会と提督ティッピは武力を持って鎮圧し市民を従えようとしたが宰相ミリウスとミリウス派がこれに異を唱え国が混乱状態に陥る。ここまで静観していたブルート王も我慢の限界をむかえ提督ティッピと宰相ミリウスを罷免、数多の貴族院議員の資格を停止し牢獄へぶち込んだ。ブルート王は貴族と市民の融和を計る為に第2代提督スファ•マキシマムを第4代宰相にエリオ•ウェルコトスを任命。
スファとエリオがウェスティリア国民の結束を固める為に丘に立て籠もった市民の要求を飲むと市民は丘を降り兵役に就いた。eliquaren人とルゥオス人とヘニ人がこの混乱を突いて進軍。ヘニ人がグランゼン同盟市に侵略されるとグランゼン同盟市はウェスティリアに救援要請を送る。提督と宰相は国軍を3つに分け1つをルゥオスのルゥオス領へ進軍させ、1つをeliquaren人の進軍している場所に突撃させ、1つをグランゼン同盟市に送る。混乱している国と侮っていた三国だが問題を一応片付けたウェスティリアは怒涛の進軍を続け全ての地域で勝利した。この戦いでウェスティリアはルゥオスの都市ルゥラエと周辺の土地を略奪し植民都市とした。
紀元前493年ウェスティリア宰相エリオはグランゼン同盟諸市とウェルコトス条約を調印し第一次グランゼン同盟市戦争を終結させる。
ブルート王は制度改革を行い司法官(ministeria scalae)造営官(ministeria scalprum)財務官(ministeria abacus)市民官(ministeria scutum)
総務官(ministeria oculus)祭祀官(ministeria ferula)を創設し国王は総務官に国勢調査を命じた。
紀元前493年、宰相エリオはルゥオス人海岸都市テンムが軍事行動を起こしたので派兵し打ち破る。テンム軍はテンム北方のラロに逃げるがウェスティリア軍はラロも攻め占領。さらにラロからルポに逃げたテンムを追撃し占領。追い詰められたテンム軍はコリリに逃亡。ウェスティリア軍はコリリを包囲したがコリリに加勢に来た別のルゥオス人軍とコリリとテンム連合軍に挟み撃ちにされた為、包囲を諦めコリリ殲滅に変更。この殲滅戦の悲惨さに心が折れたルゥオス人軍は戦意喪失し敗北、ウェスティリアはコリリを占領した。
紀元前492年ウェスアにて作物の不作による飢饉が起きると市民は貴族が食料を独占してると非難が高まり暴動が発生。貴族院議員になっていたティッピは議会にて暴動者に強固な対応を求めるも他の貴族院議員と提督スファはティッピに冷静になるよう呼びかけ飢饉対策としてグランゼン人同盟市から穀物を輸入した。
貴族のグエス•ルキウスは聖丘事変や飢饉時の市民の対応に憤りを感じていた。紀元前491年の市民官選挙に立候補し公約として市民の権利の制限、市民官の権限縮小、輸入した穀物の分配を貴族に分配を多くすべしとの論陣を行い落選してしまう。市民官になったキスキル•ルゥッエは司法官にグエスを告発した。貴族院議会は貴族と市民の対立がこれ以上深まる事を恐れ仲裁に当たる。貴族院議員ティッピは市民官キスキルに対して彼の功績、市民の行こした聖丘事変を非難する大演説を行った。キルキスは再びこれに反論、貴族として度が過ぎている事と市民はグエスを裁判にかける権利があると述べた。度重なる仲裁も功を奏さずグエスは裁判にかけられ有罪となった。しかしグエスの功績にかんがみウェスアからの追放に留まった。グエスはその後ルゥオス戦役で自らの八面六臂の活躍でウェスティリア占領を勝取ったテンムに亡命しルゥオス人有力者で仇敵のアッス•リュートに匿われ牙を研ぎ憎悪を募らせていく。
紀元前491年の中頃、ウェスアにて豊作祈願の祈りの会が催されグエスと策謀を練っていたアッスがテンムからの招待使節の中に紛れ込み後々の為の工作を行っていく。そして宰相エリオに謁見するとウェスアに住んでいるルゥオス人が良からぬことを企みウェスティリア国民と争いを起す可能性を伝え注意を促して去った。宰相エリオは豊作祈願の祈りの会が終るとブルート王や提督スファや貴族院議会と懸念事項を連日協議しルゥオス人のウェスア追放を布告という結論に至る。又、テンム帰国中には植民市に住むルゥオス人にウェスア内でルゥオス人が虐げられていると悪感情を植付けて行く。最初は鼻で笑っていたルゥオス人だったがウェスアからルゥオス人が追放され始めると溜りに溜まった怒りと植え付けられた憎悪が爆発し武装蜂起の準備を始める。
紀元前489年グエスとアッスがテンムにて挙兵しルゥオス軍を率いウェスティリア同盟市都市、植民市、ウェスティリア領内に進軍し紀元前495年の戦争から奪われた領土を次々に奪還し植民ウェスティリア国民を追放。その勢いのままグランゼン同盟市を襲撃し占領していく。
ブルート王は宰相エリオがルゥオス人の策謀に嵌まった事、提督スファが貴族と市民の不和を解消出来ない事に激怒し解任。第5代宰相にルイス•サビニを第3代提督にプリスス•リックルスを任命しルゥオス軍との戦争指揮に当たらせる。
紀元前488年ルゥオス軍はウェスアまで8Kmまで近づきここで野営陣地を張りウェスア周辺国にて糧食と軍事資金の略奪を行う。この時の略奪はグエスの意思で徹底的に市民から奪った。この時点で貴族院議会は徹底抗戦を宰相と提督に進言していたが市民達はルイスとプリススに講和を迫ったが無視した。憤った市民は会期中の貴族院議会に雪崩込み貴族院議員達に怒りの剣幕で講和を要求、市民の剣幕に慄いた貴族院議員達はルイスとプリススに講和を進言。ルイスとプリススは市民との不和を恐れ進言を受け入れ講和使節をルゥオス野営陣地に派遣するもグエスとアッスはこれを拒否。次に祭祀官を派遣するもこれも拒否。2度目の講和使節を派遣するも野営陣地にすら入れず講和を拒否される。困り果てた宰相ルイスはグエスの親族に講和の使節団になるように命令。グエスの親族は講和に向かいグエスと対面し会談を始める。最初は親族を利用した事に激怒していたグエスだが親族の必死の説得により講和を了承しウェスア包囲を解きテンムに帰って行った。グエスは帰ったがアッスは講和に応じす戦争を継続しウェスティリア攻撃を続ける、そこにヘニ人も合流しアッスに加勢するも意思疎通が上手く行かず瓦解、更にはルゥオス軍とヘニ軍が争いだし双方の戦力が低下した事でウェスティリアにとって脅威では無くなった。又、グエスとアッスのその後は不明である。
紀元前487年ルゥオス軍とヘニ軍と戦争は継続してるもののウェスティリアの優勢であった。そこにアルキ人が進軍してくるが戦力を余裕で割けるのでこれを撃破する。
紀元前486年アルキ人が再度の侵攻をしてくるもこれを撃破し宰相ルイスは戦争終結条件としてウェルコトス条約に調印するよう要請。アルキ人はこれに調印し事実上の降伏となった。
宰相ルイスは一連の戦争の終結を見届けると国内改革に乗り出し貴族院議会に土地分配法案を提出する。これに貴族院議会は反発し提督プリススは国王が懸念を示している旨をルイスに伝える。更に貴族院議員ティッピがルイスと土地分配法案の支持者を非難する演説を行い反対の急先鋒に立った。しかしながらティッピは十分な調査を行えば土地分配法案を認めると発言し貴族院議会に土地分配法審議委員会の設立を提案しこれが認められた。
この一連の裏でウィブラ•ファービーが暗躍し提督プリススと宰相ルイスの解任工作を画策しブルート王や貴族院議員に働きかける。
紀元前485年ウィブラの政治工作が実り提督プリススと宰相ルイスは解任される。そして第4代提督にウィブラが第6代宰相にウィブラ派閥のネリウス•マッギネスが任命される。
提督ウィブラの最初の仕事はネリウスと共にプリススとルイスを逮捕した事であった。ルイスに至っては条約締結を独断で決めたのは王に成り代わろうとしたからであると難癖をつけクーデター法に法って逮捕した。裁判が行われルイスやプリススは反論を行ったがウィブラの国民の不安を掻き立てる様な弁論によって尽く反論が潰された。数ヶ月の審理の結果ルイスの判決は死刑、プリススの判決は終身刑を言い渡された。死刑の後にルイスの生家等は取り壊されファービー氏族の物となった。
同時期にルゥオス軍とヘニ軍が再度ウェスアに攻めてくるが提督ウィブラ率いるウェスティリア軍はこれを退ける。しかし戦利品を兵士や市民に分け与えず国庫やファービー一族に分け与えたのでウェスティリア国民の怒りを買った。ウィブラは国王や貴族や貴族院議員に弁明とロビー活動を行い自らの地位を守り、更にネリウスに親類縁者に害を及ばさない事と戦利品の一部譲渡を約束するので泥を被るよう説得。ネリウスはこれに応え宰相を辞任し即座に逮捕された。ブルート王はエミウス•メルミウスを第7代宰相に任命した。この一連の出来事にウェスティリア国民はウィブラを王国民の敵と呼んで軽蔑した。
紀元前484年ルゥオス軍とヘニ軍が進軍してきたのでこれを撃退。
ウィブラは国内問題に力を入れるが国民の支持は得られず更にウィブラ自身も政敵の任官を阻止したり貴族院議員の当選を阻んでいたので国内情勢は不安定であった。
紀元前481年にウィブラとエミウスの共同声明で土地分配法審議委員会の解散を宣言。これに市民官スフス•リリウスが異議を唱えたが土地分配法審議委員会は解散した。スフスは国民達に軍務ボイコットや徴兵拒否を呼びかけるも、この時は政治家のみならず国民からも批判され撤回し辞任した。
紀元前480年、sepultura市がグランゼン同盟市の支援を受け混乱のウェスティリアに進軍を開始。市民官に選ばれたベティキウス•ポンティリウスはそんな激動の最中に貴族院議会にて土地分配法案を提出。渋る貴族院議員達に対して賛同しないなら市民の徴兵を拒否させ既に軍務に就いている市民にはボイコットをさせ聖丘に引き籠もると脅した。sepultura軍が迫る中、ウィブラは飴と鞭でベティキウスに交渉するも一歩も引かなかったのでウィブラはブルート王に介入を懇願。ブルート王はベティキウスを更迭し市民に対して軍務に就くように説得し議会に対しては土地分配法案の撤廃でなく保留にするよう厳命。これで憂いが無くなった提督ウィブラはウェスティリア軍を組織し、ここにsepulturaとの100年の平和が終わり第二次sepultura戦争が始まる。
しかしながら準備不足と練度不足な為に宰相エミウスはウェスア籠城で時間を稼ぐ戦法を進言。提督ウィブラも承認し兵站の準備を急がせ国王軍と徴兵された市民達の練度を高める訓練を開始。その間もsepultura軍はウェスア周辺の都市にて略奪を繰り返しウェスアに侮蔑的な挑発を繰り返した事にウェスティリア国民がブチギレ宰相エミウスに詰め寄ったが、この時は冷静に諭し拒否。sepultura軍の略奪と罵倒が激しくなると今度はウェスティリア国王軍の兵士達がブチギレてしまい出撃命令を出せと宰相エミウスに詰め寄る。これには宰相エミウスも折れかけてしまうが提督ウィブラが「私達は勝利を欲しているが、君達が勝利を欲しているのか分からない。君達がわだかまりを無くし、勝利して戻ってくると国王に誓わない限り、私は出撃命令を出さない」この言葉を聴いて、全兵士が気を引き締め勝利を国王に誓い祭祀殿にて祈りを捧げると出撃した。戦争が開始するとウェスティリアが優位に進めるも提督ウィブラの弟で副将軍のクイン•ファービーが戦死、また宰相エミウスが重傷を負って戦線離脱した。ウェスティリア国軍は混乱しsepultura軍に瓦解寸前まで追い詰められるが提督ウィブラの鼓舞で立て直す。戦争は戦線復帰した宰相エミウスの活躍により勝利した。
帰国したウェスティリア国軍の戦勝記念を行う事をブルート王は提案するが提案ウィブラは戦死者が多い事を理由に拒否した。この直後に宰相エミウスは戦傷が理由により死去した。
国王は第8代宰相にカブヌス•ファービーを任命。
紀元前479年ブルート王は国内の政情不安や戦死者追悼や雇用の為に祭祀殿を次々に建立させた。
宰相カブヌスは新しく選ばれる市民官が土地分配法案を提出する前に自らの考えた土地分配法案を貴族院議会に提出するが貴族院議員達がカブヌスが人気を得たい為に提出したと疑い拒否した。
同年アルキ人がウェスティリア領域に侵入してきたので提督ウィブラが対処し軍を派遣するもアルキ人が即時撤退した為に戦闘は起こらなかった。
多方面に敵を抱えている現実に直面した提督ウィブラはブルート王にsepultura戦役は兵士も兵站も資金もファービー氏族にだけ任せて欲しいと直訴。ブルート王は貴族院議会にて承認か否かを委ねたが多方面に敵を抱え兵士も資金も割けない現実に苦悩していた貴族院議会はこれを承認。ブルート王は提督ウィブラ及び宰相カブヌスを戦争に集中させる為に解任した。ウィブラ及びカブヌス含め戦争に従軍できる年齢に達した全てのファービー氏族の男子がウェスアから出陣し進軍。sepultura市を流れる塩の川の支流メレ川にて陣を張り防御を固める為に要塞を築いた。後任の第5代提督に終身刑に処され監獄に入れられていたプリスス•リックルスに恩赦を行い再登板させ第9代宰相にガイゼル•トルクス•ハラを任命した。
ファービー氏族の陣にsepultura軍が攻撃を開始し包囲した。猛攻撃にファービー軍はウェスアに救援を要請。提督プリススはガイゼルに軍を託し救援に向かわせsepultura軍を蹴散らしlutulentum antrumまで撤退させファービー軍を救援した。sepultura市は和平を求めてきたため宰相ガイゼルが対応に当り戦線拡大を恐れていたガイゼルは領土割譲も賠償金も人質を求めない和平交渉を成立させた。後をファービー氏族に託し帰国するもこの和平を不満に思った貴族達に政治を邪魔され思うように活動出来ず議会にて不満を表明した。
この頃からブルート王は体調を崩し床に伏せる事が多くなった為に提督プリススは次代の王への円滑な交代をする為に奔走する。
•紀元前477年-紀元前428年 占領王
ブルート王が崩御した為、第9代ウェスティリア王にブルート王の第一王子であるオピルル•ウェスティリアが即位する。又、プリススとガイゼルは提督と宰相を辞任した。オピルル王は第6代提督にホラウス•プルスラ、第10代宰相にネメトゥス•ラナトゥスを任命する。
紀元前477年、なかなかsepultura市を陥落出来ないファービー氏族と撤退させられた挙げ句に和平交渉を調印させられた恥辱とファービー氏族を潰せないsepultura市の溜まりに溜まった憎悪が爆発。sepultura軍はゲリラ戦法と計略を持ってファービー氏族軍をわざと略奪させてウェスア近郊に張った陣から遠ざけた。ウェスアから遠ざかっても略奪に夢中になっていたファービー氏族の隙を突いてsepultura軍が攻撃を開始。ファービー氏族は恐慌に陥り立て直す事も出来ず殲滅させられメレ川が血で染まった。ファービー氏族の全滅の報が届けられるとオピルル王はネメトゥスを軍と共に送ったがsepultura軍に敗北しウェスティリア進軍を許しCollis Regis internaの占領を許してしまう。提督ホラウスは王国軍を2つに分けてsepulturaに対処させたが1つはPorta quae dedit aquam付近のポセイドン祭祀場近くで激突、1つはporta castitatis付近で激突しsepultura軍を退却させる事に成功した。しかし近隣の略奪は止まらなかった。
紀元前476年、sepultura軍はウェスアに近いCollis Regis internaを占領を続け要塞まで築いてしまった。この占領で前年から種まきがまともに出来ず15年ぶりの食料危機の可能性が出てきた為、宰相ネメトゥスは闇夜に紛れウェスティリア国軍をCollis Regis internaまで進軍させ夜明けと共に攻撃を開始。しかしsepultura軍もこの戦争に勝利すれば覇権を握れると考えゲリラ戦法や欺瞞工作で攻勢に出る。更に偽装工作でウェスティリア国軍を混乱させるとネメトゥスと兵士の間の意志疎通不足や連携不足を突いて攻撃し押し返してしまった。敗走の報がウェスアに入ると提督ホラウスが援軍と共に出陣し敗走したネメトゥス兵を回収しながら陣形を立て直し挟み撃ちによってsepultura軍を後退させ不利を悟ったsepultura軍はCollis Regis internaから撤退した。
勝利したがウェスティリアの損害は甚大であり宰相ネメトゥスの指揮不手際を見過ごせなかった為オピルル王はネメトゥスを解任しウェウル•トリコルスを第11代宰相に任命する。
同年、市民官シディウス•コンクンはネメトゥスをCollis Regis interna戦の不手際で訴訟した。裁判にてネメトゥスは自身の訴訟は市民と市民官の怨恨による物で過去、度々提出された土地分配法案を否定し廃案にしてきた恨みを戦争の不手際を利用して訴えている不正義な物と反論。貴族院議員達はネメトゥスの弁護に回るが弁護しきれずネメトゥスは死刑判決を下され即日処刑された。
紀元前475年、提督ホラウスが政情不安を理由に解任され第7代提督にプブブ•コレラを任命する。これを好機と捉えた市民官シディウスはホラウスを政情不安とファービー氏族壊滅の件で告発し訴訟を行った。ホラウスはネメトゥス以上に雄弁に自己弁護を行い市民官シディウスを批判した。この弁護のおかげで裁判では無罪を勝ち取った。
同年eliquarenがウェスティリアの不和を感じsepulturaと同盟を締結し両軍はsepultura市の外に陣を張り他のグランゼン人同盟市からの救援を待った。この動きを察知した提督プブブはこの流れを断ち切る為に闇夜に紛れ出撃し敵陣近くに陣を張った。提督プブブは兵士達に夜明けと共に奇襲しeliquaren軍陣地を攻撃せよと命令。ウェスティリア国軍は夜明けと共にeliquaren軍陣地を攻撃し第三次eliquaren戦争が始まった。多くのeliquaren人が殺害されたがsepultura兵はウェスティリアの猛攻に恐れsepultura市内に逃げ込んでしまった。市外戦で勝利したもののsepultura市は強固な為に落としきれず提督プブブは撤退し、eliquaren人の領土を略奪しながら帰還した。
紀元前474年に宰相ウェウェルはsepultura市に乗り込み和平交渉を行いウェスティリア側はファービー氏族を含む戦死者に対する賠償金と占領時に種まきが出来ず食料危機を引き起こしかけた謝罪と食料の保証を願い、sepultura市は年単位の停戦を願った。和平交渉は合意•調印された。
紀元前473年、市民官ジーン•ジェネシスは貴族院議員ホラウスを土地分配法を審議にかけなかった事、土地分配法案審議委員会を発足させなかった事により告発し裁判にかけた。しかし裁判直前にジーンが不審死をとげた為に裁判は開かなかった。この事態にウェスア市民は激怒しfoederatio vocum総出で貴族院議会や裁判所に抗議するよう要請したが暗殺を恐れたfoederatio vocumの会員達はこの要請を無視した。市民の怒りは爆発し遂には貴族院議会や裁判所に雪崩込む事態になってしまう。ここで兵役経験者のリリウス•ウヴレロが大暴れし、市民を敵視する貴族院議員ピックス•インレックスは王国騎士団「torrens」と 治安維持部隊「tranquillitas」に暴徒の鎮圧を要請。更に司法官にリリウスの逮捕を要請した。そして司法官の命令にtorrensが従ってリリウスが逮捕され連行された時に無視を決め込んでいたfoederatio vocumも我慢の限界を迎え貴族院議会に雪崩込みリリウスを守り、市民達も更に暴れだし収拾がつかなくなった。又、市民のグループは司法官の職場や家も襲撃し恐れおののいた司法官は宰相ウェウェルの家に逃げ込んだ。貴族院議会は神聖な議会と宰相の家が血で穢れる事を危惧しリリウスに謝罪し市民とfoederatio vocumに対し不審死の原因究明と土地分配法案の審議を約束した。この勝利にウェスア市民はこれ以上の行動は起こさなかった。この混乱にオピルル王は提督プブブを叱責した。貴族院議会はこれを好機と捉え貴族と貴族院議会の威厳を護り市民に屈しないピックス•インレックスを次期提督候補に推薦した。
紀元前472年、市民官にリリウス•ウヴレロが選ばれると貴族院議会にジーンの不審死の件を抗議し議会の演説にて遅々として進まぬ土地分配法案審議や貴族院議員の怠慢や市民に対する対応を非難する。又、foederatio vocumにてまとめられたウヴレロ法案を議会に対し提出し決断を迫った。この法案が通ると貴族の権利が1つ失われる事になるので議会は紛糾してしまう。再びの混乱に嫌気が差したオピルル王は提督プブブを解任し第8代提督にピックス•インレックスを任命させる。ここに初の二世提督が誕生した。
紀元前471年、提督ピックスはオピルル王に宰相ウェウェルではこの難局を乗り切れないと解任を要求し新宰相にカピトゥ•パルトゥを推薦。オピルル王はこの提案を受け入れた。ウヴレロ法案が本格審議に入るとリリウスとピックスは激しい議論の応酬を繰り広げる。リリウスが「法案を可決しない議員や投票をしないのに議場にいて邪魔をするのなら逮捕し告訴する」と述べれば、ピックスは「たかが市民が何様だ」と応じるなど不穏な空気は消えなかった。
ウヴレロ法案投票日の議会にてピックスはリリウスを更に激しく口撃し挑発し逆上させた。ピックスとしてはリリウスが流血沙汰に持っていった所をカピトゥが割って入りリリウスを諭し貴族院議員達にピックスがウヴレロ法案の危険さを証明し廃案にする算段であったが現実はリリウス以上に市民が激怒し貴族院議会に集まった貴族院議員全てが殺害されそうな事態に発展。カピトゥが仲裁に入るも効果は無く事態を重く見た貴族院議員達はピックスを王宮に退かせる事で市民の沈静化を図るも効果は薄く、最終的にオピルル王が割って入る事で沈静化した。この件で貴族院議員達に態度を改め法案に妥協する様に促さたピックスは政治的支援を失ったピックスは渋々と法案を可決させた。
この政情不安にルゥオス軍とヘニ軍がウェスティリア領内に侵攻し略奪を行ったが政情不安が沈静化すると撤退していった。提督ピックスは報復の為の軍を組織して遠征に出るも徴兵された市民が多数を占める軍と市民に対して憎悪を持っているピックスの相性は最悪で過酷な命令を出すピックスに市民は自陣が奪われる寸前まで反撃せず撤退を余儀なくされた。ピックスは綱紀粛正の為と見せしめを兼ねて命令違反をした兵士を次々と戦場にて処刑した。
紀元前470年、オピルル王は提督ピックスを解任したが新任を選ばず宰相に貴族と市民の融和を託した。この機を市民官リリウスは見逃さず土地分配法案を提出、更にピックスをウヴレロ法案時の対応と綱紀粛正を名目とした戦場にて行った私怨まみれの処刑を問題視し告発。裁判が始まった。
紀元前469年ルゥオス軍が再びウェスティリア領内にて略奪を開始した為にピックスの裁判は中止となった。ルゥオス軍は略奪後に撤退したが宰相カピトゥは軍を組織し、追撃し勝利したがルゥオス軍はvetus oppidumに籠城した。カピトゥは港町トノを占領しルゥオス軍を監視した。宰相カピトゥはヘニと同盟を結ぶ
紀元前468年、前年からの敵対は続いておりルゥオス軍はアルキ人と同盟を結びウェスティリアを攻め始めた為に戦争が再開。ルゥオス軍はvetus oppidum市外の丘に布陣を敷いた。ウェスティリア軍は果敢に立ち向かうもアルキ軍の猛攻に耐えきれず敗走。宰相カピトゥは戦列を立て直し同盟のヘニ軍の力を借りながら丘をルゥオス軍から奪い、ルゥオス軍をvetus oppidumに追いやると宰相カピトゥは軍を追撃させ短期間の攻城戦の末にvetus oppidumを陥落させルゥオス軍を降伏させた。
紀元前467年、市民官リリウスは土地分配法案を提出し「貴族は土地を独占している!」と非難し再び貴族と市民の緊張を生んだ。宰相カピトゥはこの緊張に対処するためルゥオスとの戦争で得たvetus oppidumの土地に植民する様に提案した。しかしウェスアを離れてまで土地を欲した市民は少なかった為、ルゥオス人にも土地を割り当てた。
紀元前466年、アルキ人が軍事行動を起こしグランゼン同盟市を攻撃したのでカピトゥは軍を再編したが疫病が流行しアルキ人は撤退。国内でも流行した為にオピルル王は祭祀官に祈る様に通達。
紀元前465年アルキ人がsub monte puerに進軍した為、宰相カピトゥはアルキ人に対して和平交渉を行うもアルキ人が拒否。貴族院議会は宰相カピトゥにアルキ人に対し軍事行動を起こす事を全会一致で要請。ウェスティリア軍はこの戦争に勝利するがアルキ人がゲリラ化しウェスア周辺地域やグランゼン同盟市に攻撃と略奪を始めたので宰相カピトゥはオピルル王に提督を任命しウェスア防衛に当たらせる様に要請。オピルル王は第9代提督にプリグル•インレックスを任命し都市防衛に当たらせ又、プリグルはパニックになったウェスティリア国民を落ち着かせる為の演説を行った。宰相カピトゥはアルキ人に対して同様のゲリラ戦法を用いてグランゼン同盟市からアルキ人を排除していきアルキ人の土地へ彼等を撤退させた。宰相カピトゥはアルキ人に賠償金を請求し彼等が渋ると彼等の土地を見せしめに破壊して脅した。賠償金を得ると宰相カピトゥは帰還した。プリグルは提督を辞任した。
紀元前464年オピルル王は第10代提督にメドウズ•ヌスフスを任命。
同年アルキ人がルゥオス人の街ケトと同盟を結びウェスアに進軍を開始、ヘニ人は直ぐにケト軍の進軍をウェスティリアに報せた。宰相カピトゥはグランゼン同盟市の長を招集し対応を協議した。アルキ軍がヘニの領土に侵入した為、提督メドウズは軍を組織して兵と共に進軍させるが敗北。ヘニ軍がウェスティリアに敗北を報せると貴族院議会はオピルル王と宰相カピトゥに救援を要請、オピルル王はregnum scutumという臨時職を創設しポテトリス•ププトスを任命し王国の守備にあたらせDux feroxにプッリウス•ヌスフスを任命し宰相カピトゥと共に救援派遣を命じた。オピルル王はヘニやvetus oppidumにも緊急部隊の派兵を要請した。更にアルキ軍がウェスア周辺に侵入し略奪を始めるとオピルル王は指揮官としてポテトリスを軍と共に派遣した。オピルル王は更に臨時職custos iustitiaeを創設しを任命し都市防衛に当たらせた。
一方、メドウズ率いるウェスティリア軍はアルキ人の包囲網を脱して再攻撃をするも徐々に不利になった。この包囲網を破らんと救援にカピトゥやプッリウスが駆付けたが不運にもプッリウスがメドウズを逃すために戦死、カピトゥが負傷したメドウズを救出しウェスティリア陣地に後退。アルキ人は再度の包囲網を固め殲滅しようとした時にポテトリスがグランゼン同盟軍とヘニ軍と共に救援に到着し包囲網を攻撃しウェスティリア陣地の包囲網を破ると合同でアルキ軍に一斉攻撃し敗北させた。ウェスティリア合同軍はウェスア帰還の際にウェスア周辺で略奪を行っていたアルキ軍を殲滅した。ウェスアに帰還するとグランゼン同盟市軍とヘニ軍にも戦利品を譲渡し感謝を述べた。彼等は感謝を述べながら自国に帰って行った。余りにも戦死者が多かった為にオピルル王は3日間の追悼祭をしめやかに行った。
紀元前463年オピルル王は臨時職を解体し負傷療養中のメドウズを提督から解任しカピトゥも療養を理由に解任した。第13代宰相にブティエ•ヘルウァウスを任命するも天候不順から疫病が流行しブティエも流行り病に罹り死去。オピルル王は第14代宰相にウィリアム•プブプリを任命。ルゥオス人がアルキ人と共にヘニの領地を荒し回りウェスア目前まで進軍してくるも疫病の流行を見て撤退。同盟国が略奪されても流行病のせいで援軍を送れなかった。貴族院議員や政務官を務める者達が次々と流行病で亡くなるとオピルル王は祈祷祭と太陽祭と治癒祭を実行。しかし効果は薄くウィリアムも床に伏せ療養の甲斐なく死去する。
紀元前462年オピルル王は第15代宰相にルクルキ•トリピティを任命。流行病が落ち着いた同年もルゥオス人がヘニ人の領地を荒し回っていたので同盟国支援の為にヘニに派兵を決断。オピルル王は臨時職Dux feroxにキィトゥ•ゲスリウスを任命しルクルキと共に救援に向かわせ更に、custos iustitiaeにカピトゥ•パルトゥを任命し都市防衛を任せた。
宰相とDux feroxが戦場にて戦っている間、市民官ガウス•レティサルハは今回の戦争に徴兵されなかったウェスティリア国民に訴えた。「貴族は傲慢になっていないか?」と訴え、「宰相は貴族と市民の橋渡しになっていない」と嘆き、「何の為の階級別の意見集約機関か」と形骸化した組織を憂い、「宰相や司法官の権限を制限せよ」と憤激し、「市民を議員にせよ!市民を他の政の官に就任出来る様に改革せよ!」とオピルル王に訴えた。市民官ガウスは貴族院議会に上記の意見を纏めたレティサハル法案を提出した。この法案は貴族と市民の対立を深め貴族院議員は「戦争中である」と困惑し「宰相の不在を狙ったクーデターだ!」と非難し「討論中は後を気を付けよ」と脅迫した。市民官ガウスと市民達は「報復には報復を!」と拳を上げたのでcustos iustitiaeのカピトゥ•パルトゥが「宰相やDux feroxが戦場から帰還するまで議論は保留し投票を禁ず」と介入。更に「市民官は王に成り代わろうと企んでいるのか?」と激しく反論、市民には「クーデターに加担するのか!」と圧力をかける。これに恐れをなした市民は市民官ガウスに法案の廃案を懇願し市民官ガウスは渋々これを受け入れ法案を取り下げた。貴族院議会はこれを「和解」と大々的にキャンペーンした。
ルクルキは直接ルゥオス領土を攻めキィトゥはアルキを攻める作戦をとったが、アルキは野戦を諦め籠城した。ルクルキはグランゼン同盟市のガビとムストゥ付近で襲撃を繰り返し帰還中だったルゥオス軍を打ち破った。その後ルクルキとキィトゥは合流しルゥオス&アルキ軍を打ち破った。
紀元前461年、市民官ガウスは前年不成立だったレティサハル法案を再提出すると貴族院議員カッゾ•シンシナティと激しい議論を繰り広げた。しかしカッゾは取巻きと共にガウスを暴行し議会に行けない体にし、抗議に来た市民達を兵士や治安部隊を買収の上で暴力的に排除した。ガウスは市民官を辞任し補充選挙が行われ市民官にルーズ•バージニアが就任、ルーズはカッゾをガウス暴行や市民鎮圧の罪で訴追した。
カッゾ裁判では彼の有能さと才能は王国の為になると貴族の弁護が続いたが市民側はカッゾの暴力性や不行状を訴え、更に実際の被害者や暴行によって亡くなった者の遺族マーク•ヴォクターを証言者として出廷させ証言させるとルーズはカッゾに死刑を求刑。しかし司法官はカッゾを他の裁判が終わるまで逃亡の恐れが無い事と自宅待機と保釈金を条件に保釈を認め、父ウーシーが保釈金を支払った為に保釈した。これに激怒した市民達はカッゾを襲うが兵士に守られていた為に失敗。その後カッゾはグランゼンに亡命したので市民官ルーズは宰相ルクルキに不正を訴え欠席裁判の開廷を求めるがこれを拒否され裁判は閉廷した。父ウーシーは保釈金や土地を没収された。
紀元前460年、オピルル王は宰相ルクルキを解任し第16代宰相にプブブ•コレラを就任させ貴族と市民の溝を埋める様に要請。そんな中eliquarenのスアピ•ヘルドーニが亡命ウェスティリア国民や追放市民や戦争奴隷をdeus oculus collisに率いて要塞を建設し占領した。この事態に市民は貴族達が改革を認めない限り徴兵には応じないと反発。それに対してピックス派閥の貴族達は無能なウェスア市民やウェスティリア国民を使わなくても植民市や同盟国の人間を徴兵すれば良いと反発して一触即発の事態に貴族院議会は裏にルゥオス人やアルキ人がいる可能性があることを鑑み貴族と市民の歩み寄りを期待したが、反発は終わらなかった。貴族院議会は宰相プブブに仲裁を依頼。プブブは市民に貴族に協力して占領者の打倒をお願いし、勝利の暁には改革を進める事を約束。貴族には驕り高ぶる事を止める様に要請した。説得された市民は派兵に応じたのでプブブはオピルル王にDux feroxとcustos iustitiaeの任命を要請しDux feroxにピックスを任じてプブブと共にdeus oculus collisに向かわせた。custos iustitiaeにウーシー•シンシナティを任じて都市防衛に当たらせた。
この戦いでスアピを捕縛して勝利したが戦いの中でプブブが戦死した。スアピは反乱の罪で死刑に処された。
同年オピルル王は第17代宰相にウーシー•シンシナティを任命した。
紀元前459年マーク•ヴォクターが亡命したカッゾがルゥオスとアルキを引き連れて復讐の為にウェスアに戻り市民官や市民達を殺害するつもりだと噂を流したとして司法官プリンタス•セルリウスがマークを起訴して裁判にかけようとするもマークの親族が疫病により亡くなった為に裁判は行われなかった。
同年ヘニがウェスティリア同盟国のCivitas Dei quarteriaを襲撃、更にルゥオスが植民ウェスティリア人と共にvetus oppidumにて反乱を起す。貴族院議会はウーシーに対してヘニ人鎮圧を要請。宰相ウーシーはオピルル王に対してDux feroxとcustos iustitiaeの創設を奏請、オピルル王はDux feroxにジーニウス•コーネリアスをcustos iustitiaeにカピトゥ•パルトゥを任命。貴族院議会はジーニウスにvetus oppidumの鎮圧を命令。ジーニウスはvetus oppidumに到着すると反乱軍を蹴散らし敗走させるとvetus oppidum周辺地域を周到に破壊し包囲すると籠城する反乱軍の隙を突いてvetus oppidumに侵入し略奪、首謀者を捉えて処刑した。宰相ウーシー率いるウェスティリア軍はorientem Mons Dei付近にてヘニ軍を打ち破りCivitas Dei quarteriaを解放しヘニと休戦協定を結ぶ。
同年、市民官ルースはレティサハル法案を提出するも貴族院議会にて貴族院議員と宰相ウーシーに廃案にされる
紀元前458年、マーク•ヴォクターを司法官タイタン•シンシナティ•バーブラが偽証罪で起訴。しかしマークはCollis Exsiliumに亡命。
同年、和平を結んだヘニが講和を破りウェスア周辺で略奪を再開。オピルル王は使者としてウーシーとジーニウスとカピトゥをヘニが陣を張るorientem Mons Deiに遣わすがヘニが講和交渉を拒否した為に決裂。オピルル王は宰相ウーシーとDux feroxに任命したシリウス•ヌスヌスをMons Deiに出撃させた。貴族院議会は戦争に勝つために徴兵すふが市民官と市民達はレティサハル法案の廃案とマーク•ヴォクターの件で徴兵拒否をしていたがeliquarenがこの隙を突いてウェスアに押し寄せて来たために市民は徴兵を受け入れた。オピルル王は二人目のDux feroxにウェウル•トリコルスを任命しeliquaren領に出撃させ、custos iustitiaeにホラウス•プルスラを任命して首都防衛を任せた。しかしシリウス•ヌスヌスはMons Deiに向ったが何故かやる気も戦果もなくヘニに包囲されてしまう。
•紀元前428年-紀元前392年 緩和王
•紀元前392年-紀元前360年 救国王
•紀元前360年-紀元前334年 再建王
•紀元前334年-紀元前264年 司法王
•紀元前264年-紀元前233年 愚者王
•紀元前233年-紀元前197年 ウェスティリアの盾
•紀元前197年-紀元前158年 祭王
•紀元前158年-紀元前122年 水脈王
•紀元前122年-紀元前87年 哲学王
•紀元前87年-紀元前71年 失脚王
•紀元前71年-紀元前42年 鎮圧王
•紀元前42年-サラトバ暦14年 忠誠王
•サラトバ暦14年-サラトバ暦41年 尊厳王
•サラトバ暦41年-サラトバ暦68年 大火王
•サラトバ暦68年-サラトバ暦98年 防災王
•サラトバ暦98年-サラトバ暦117年 病弱王
•サラトバ暦117年-サラトバ暦138年 憎悪王
•サラトバ暦138年-サラトバ暦161年 慈悲王
•サラトバ暦161年-サラトバ暦169年 夭折王
•サラトバ暦169年-サラトバ暦228年 弟帝
•サラトバ暦228年-サラトバ暦278年 権謀王
•サラトバ暦278年-サラトバ暦316年 侵略王
•サラトバ暦316年-サラトバ暦361年 和解王
•サラトバ暦361年-サラトバ暦400年 占星王
•サラトバ暦400年-サラトバ暦422年 海難王
•サラトバ暦422年-サラトバ暦454年 灌漑王
•サラトバ暦454年-サラトバ暦494年 真珠王
•サラトバ暦494年-サラトバ暦530年 質素王
•サラトバ暦530年-サラトバ暦539年 炎王
•サラトバ暦539年-サラトバ暦572年 艶王
•サラトバ暦572年-サラトバ暦604年 剛腕王
•サラトバ暦604年-サラトバ暦622年 暗殺王
•サラトバ暦622年-サラトバ暦651年 政争王
•サラトバ暦651年-サラトバ暦692年 失策王
•サラトバ暦692年-サラトバ暦722年 禿王
•サラトバ暦722年-サラトバ暦769年 暗躍王
•サラトバ暦769年-サラトバ暦798年 守護王
•サラトバ暦798年-サラトバ暦858年 平和王
•サラトバ暦858年-サラトバ暦900年 均衡王
•サラトバ暦900年-サラトバ暦938年 流血王
サラトバ暦938年-サラトバ暦1013年 復興王
•サラトバ暦1013年-サラトバ暦1067年 悲劇王
•サラトバ暦1067年-サラトバ暦1087年 湖王
•サラトバ暦1087年-サラトバ暦1142年 狭間王
•サラトバ暦1142年-サラトバ暦1185年 大海王
•サラトバ暦1185年-サラトバ暦1235年 庇護王
•サラトバ暦1235年-サラトバ暦1280年 風王
•サラトバ暦1280年-サラトバ暦1289年 冷血王
•サラトバ暦1289年-サラトバ暦1348年 刹那王
•サラトバ暦1348年-サラトバ暦1366年 人形王
•サラトバ暦1366年-サラトバ暦1432年 憤死王
•サラトバ暦1432年-サラトバ暦1452年 航海王
•サラトバ暦1452年-サラトバ暦1500年 軟弱王
•サラトバ暦1500年-サラトバ暦1530年 革新王
•サラトバ暦1530年-サラトバ暦1600年 戦火王
•サラトバ暦1600年-サラトバ暦1638年 太平王
•サラトバ暦1638年-サラトバ暦1700年 鷹王
•サラトバ暦1700年-サラトバ暦1755年 破綻王
•サラトバ暦1755年-サラトバ暦1833年 健全王
•サラトバ暦1833年-サラトバ暦1893年 黄金王
•サラトバ暦1893年-サラトバ暦1973年 自由王
•サラトバ暦1973年-サラトバ暦2023年 長命王
•サラトバ暦2023年〜 現王
責任編纂者
•歴史哲学者:アルトン
•神学者:ルー•フープ
•考古学者:サミー•ネックス

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