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門神

使用したAI Dalle
※本小説には、「説唐」や「隋唐演義」など史実ではない講談小説の設定が含まれます。秦叔宝の双鐧、尉遅敬徳の鞭、程咬金の斧、これらの武器設定は講談にありますが、史実にはありません。程咬金の字は不明です(知節は字ではない。一説には義貞)ので、咬金で通します。秦叔宝と程咬金が義兄弟という設定も史実ではありません。

...

「小姐 ! ...太原の一帯は劉武周に全て奪われてしまったそうですわ !!」

春華が青ざめた表情で観音婢に表向きの事を注進に及ぶのはいつもの事であるが....

今度ばかりは、成立したばかりの唐王朝にとって建国以来の危機と言わねばならぬ。

太原失陥

その凶報に長安が震撼した。

武徳二年の事である。

前年の所謂「太原起義」において、李世民と健成率いる唐軍は電撃戦を以て首都長安を制圧、爵位を唐王に進めた李淵は、同年禅譲を受けて隋を滅ぼし、唐王朝を創建した。
(王世充、宇文化及の二人も同様に隋朝の禅譲を受けており、李淵一人が隋を滅ぼした訳ではない)

...そこまではいい

関中から河東河西一帯を制した唐は群雄割拠の中で頭一つ抜け出し、天下統一もそう遠くない未来と思われた。

それが急転、瓦解の危機に直面しているのは、太原留守、斉王李元吉の失態によるものであった。

更にそこに李淵の事後処理が事態を悪化させてしまった。

元吉は生来の粗暴さを表して并州の人心を失っていたところに劉武周の急襲を受けてまともな防戦も出来ず、更に長安の朝廷が救援の兵力を出し惜しみして、戦力の逐次投入という用兵上の初歩的な禁忌を犯してしまい、并州の唐軍は全面崩壊に至ったのである。

そして、劉武周軍の先鋒を務める尉遅敬徳という男の恐るべき神勇が、長安に伝わってきたのもこの頃である。長安では尉遅敬徳の名を聞けば泣く子も黙るほど、恐れられた。

その武勇は三国時代の伝説的な武将、呂布、関羽、張飛らを凌ぐ...とすら言われている。

唐軍内きっての勇将として勇名を馳せる劉弘基ですら敬徳に敵わず、一騎打ちの末に捕虜にされてしまった。(劉弘基はその後、自力で脱出に成功する)

この時、唐軍の不運は、最大の切り札である若き英傑、秦王李世民が他の戦線に転戦していた為、并州に差し向けることができなかったことだった。

...

「小姐 ! 尉遅恭(この時点で敬徳は唐の敵なので諱呼び捨て)という男は、人ではない、鬼じゃと敗走してきた兵士たちが口々に申しております」
春華は、観音婢に絶対の忠誠を誓っている侍女だ。

侍女たちの中には性格が陋劣で意地の悪い者もいるのだが、とにかく人柄がいい、観音婢もそこを高く評価している.....のだが、聊か慌て者で、感情の振れ幅が大きいのが欠点である...

「まあ春華、人の軍勢を率いる者は、どんなに強くても人ですよ」

「だけど妾達の王爺(秦王李世民の事)が御帰還なされ、河東に赴かれることになったのですかすら、もう心配はありません。王爺は必ずや劉武周を打ち破り、河東を奪回なさるでしょう」

「小姐はご心配ではないのですか ? 鬼のような男と戦って王爺に万一のことがあったら何とします !」

「...王爺は此度、それはそれは頼もしい武勇の者達を配下になさったのですよ。その者達ならば必ずや尉遅恭に伍することができると王爺は確信しておられるの。だから、心配はいりません」

若き秦王李世民は、とにかく人材が好きである。そしてその人材を麾下に集めるのが好きである。

それはもう一種偏執的ですらあって、その点は歴史上の人物では魏武(魏の武帝、曹操の事)に似ている。

その世民の下に此度は新たに三人の英雄たちが集まったのであった。

秦叔宝

程咬金

徐姓改め李姓を賜った李懋功 (李勣の事)の三人である。

いずれも、千四百年後にまでその英名を語り継がれている英傑たちだ。

「...秦将軍の御名は聞いたことがありますわ。確か隋朝の河南討捕、張大使(張須陀)の下にいた方では...」

「春華はよく知っているわね。そうです。あの張大使の下で勇名を馳せた秦将軍ですよ。張大使が戦死なさった後は、李密や王世充の下にいたらしいのですけれど、此度ついに王爺の招請を受けて大唐に帰順されたのです」

「あの方の双鐧は神技とすら言われているの。尉遅恭の鉄鞭、剛勇にも決して引けはとらぬと王爺は確信なさっておられるわ」

「程将軍と李将軍はどんな方なのですか ? 」

「両将軍は、李密の下で秦将軍と共に戦っておられたそうよ。」

程咬金は叔宝の弟分で、六十斤の大斧を縦横無尽に操る豪傑である。史上の人物では張飛に似ているが、欠点も張飛に似ているらしい...

李懋功はまだ若いが智謀に優れ、古今の兵法に通じており、大軍を指揮しうる器として李薬師に次ぐ期待を寄せられている。

懋功が反隋革命運動に投じたのは何と十七歳の時というから、若くして百戦の経験を踏んできた強者である。
(秦叔宝の上官であった張須陀を破り、殺したのも当時李密麾下の懋功の作戦によるものであり、叔宝とは一種因縁がある)

その点では、五十の坂に近づくまで机上の兵法に熱中し、実戦の機会を得られなかった薬師と対照的だ。

後年、世民は薬師と懋功を比較して「共に名将であるが、理論的な知識においてやや薬師が勝る」としているが、二人の生い立ちを考えればそれはそうなるであろう。

逆に言えば、懋功のような存在こそ天才というべきかもしれぬ。十七歳で革命運動に身を投じたのでは、兵法の理論について薬師ほど学ぶ時間がなかったのは当然である。にもかかわらず薬師に次ぐ名声を得ることになるのだから、天才という以外にない。

...なお、薬師は「李衛公問対(武経七書の一つで孫子や六韜三略と同列に評価される)」の中で、主君である世民についても、その用兵に対して「天才」という評価をしている。

...

「...そのような豪傑たちが集まったのですか。さすがは秦王殿下ですわ !」
春華は感激の面持ちである。

...ただ、観音婢はふと春華の言葉から、妙な胸騒ぎがした。

世民の下に多士済々の人材が集まるのはいい。

いまだ関中を制しただけの唐王朝にとっては、多彩な人材も、世民の才能も、絶対に必要なものである。

河北に劉武周、竇建徳、河南に王世充、江南に蕭銑...まさに天下は群雄割拠の乱世である。

乱世を収め、天下を統一する為には、非常の才を持つ英傑が必要なのだ。

...

しかし、「世民は次男の秦王に過ぎず、皇太子ではない」のである。

その彼の下に今、古今の歴史を見てもまさに西漢高祖劉邦の麾下の如き人材が集まりつつある。

それは果たして唐王朝、そして世民自身にとって行く末良いことなのだろうか....

歴史を深く学んでいる観音婢は胸中、不吉な予感を禁じえぬのだった。

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