Untitled 2024-03-15 (2)
「おはよう、絢奈」
「……もしかしてわたし、眠っちゃってましたか?」
「うん。とは言っても、ちょっとの間だけどね」
恥ずかしそうにする彼女の頭を、ゆっくりと撫でる。指先に触れるさらさらの髪が心地よい。
駄目だ。こうしてると、決心が鈍りそうになる。頭から手を離して、懐からスマートフォンを取りだした。
「……絢奈。僕はこれから、絢奈の日常を壊してしまうかもしれない。辛い思いを……させてしまうかもしれない」
「先生、どうしたんですか? 急にそんな……」
「でも、これは君を守るために必要なことだ。大人として……僕がやるべきことなんだ」
ロックを解除し、通話メニューのアイコンを押す。連絡先ではなくプッシュダイヤルの画面を開き、一文字一文字、間違えないように押していく。
やがて僕がしようとしてることに気づいたのか、はっと絢奈が息を飲むのが聞こえた。
「……ねえ、先生。どこにかけようとしてるんですか」
「…………」
「ちゃんと答えてください、先生っ!!」
「……警察に、全部話すよ。理一郎さんのことも……そして、僕のことも」
血相を変えた絢奈が、感情もあらわに僕へ詰め寄る。
「バカなことはやめてください!! そんなことしたら、自分がどうなるかわかってるんですか!?」
「もちろん、わかってる。僕は自首して、あの人の虐待を告発する。どんなことがあったって、僕は君を守りきってみせる」
「なんで、こんな時ばっかり大人ぶろうとするんですか!! 先生、自分が震えてるのわかってます!? 本当は怖いくせに!! そんなこと、したくないくせに…っ!!」
「……うん、怖いよ。とても怖い。でも、それで絢奈を守れないのは、もっと怖いんだ」
必死に引き留める言葉を、僕は心を殺して振り払う。
彼女の言葉から理屈が一枚一枚剥がれ落ちていき、最後に残ったのは、ただまっすぐな本心だった。
「わたしが嫌なんです!! 先生と会えなくなるのは嫌です!! 先生がいなくなってしまうのは嫌です!! わたしのことを……これ以上、一人にしないで……!!」
すがりつく絢奈の身体を、ぎゅっと抱きしめる。
「絢奈は決して、一人なんかじゃないよ」
「先生……」
「僕がいなくなっても、これから先、絢奈は色んな人と出会って、色んなことを経験して大人になっていくんだ。そのためになら、僕はどんなことだってしてあげられる」
僕の腕の中で、絢奈は声をあげて泣きじゃくり始めた。そのまま涙を涸らしてしまうんじゃないかと思えるくらい、激しくて、長い長い慟哭だった。
泣き疲れた彼女の頭をもう一度だけ撫で、最後に触れるだけの軽い口づけをした。
「大好きだよ、絢奈。君のことを、愛してる」
震える指で、通話開始のボタンを押す。
呼び出し音がまるで、処刑へのカウントダウンのようだった。とても怖い。今すぐにでも、電話を切ってしまいたい。
やがて呼び出し音が途切れ、向こうから呼びかける声がする。
僕は大きく深呼吸をすると、意を決して相手の呼びかけに答えた。
「――もしもし?」
呪文
入力なし