※本作における瓦崗寨の好漢たちの兄弟順は、魏玄成-秦叔宝-単雄信-程咬金-李懋功-羅士信の順とします。日本でも放送されたTVドラマ「隋唐演義」では李懋功(講談ものでは徐茂公)が好漢達の軍師役として単雄信や程咬金より年長として描かれ三哥(三番目の兄)扱いですが、史実の年齢を考えるとこれはあり得ません。
隋唐演義自体が所詮虚構の講談本ですが、実在の人物なのでせめて年齢位は史実に沿ってほしいものです。秦叔宝の生年は不明で、もしかすると魏玄成より年長の可能性もあります。
羅士信の生年についても異説があります。日本でも放送された21世紀版の「隋唐演義」で、羅成と羅士信が別人として描かれますが、本来この二人は同一人物です。また、隋唐演義に描かれる羅成(羅士信)の出自は完全に虚構の設定です。史実の羅士信は河南討捕軍の出身で、秦叔宝の同僚です。
...
へっ、俺様もここで終わりか
...程咬金は、頭上に振り下ろされようとしている鉄鞭をまるで他人事のように見ていた。
劉武周軍の先鋒大将、尉遅敬徳との一騎打ちは三百合にも及んだであろうか....懸命に大斧を振るった咬金であったが、敬徳の剛勇は凡そ人間の限界を超えているかのようであった。
ついに大斧を弾き飛ばされ、丸腰になった咬金は最早為す術がなかった。
...仕方ねえ、俺様も散々人を殺してきた。
今度は俺様が殺される番が来ただけのことだ。
つまらねえ雑魚に殺されるのは業腹だが、この尉遅恭て野郎になら仕方ねえ。
生涯最後の敵がこの化け物で、こいつに殺されるなら、まあそれも武人の本懐てやつかもしれねえ
...後は頼むぜ、秦二哥....
...
しかし、敬徳の鉄鞭は鈍い打撃音と共に弾き飛ばされ、咬金の頭を砕くことはなかった。
咬金の視界に、二本の巨大な双鐧が映る。
「...、し、秦二哥...!」
「四弟 !! よくぞここまで持ちこたえた...あとはこの叔宝が引き受けた! 一端引け !」
「す、すまねえ....二哥 !」
程咬金は、馬にしがみつくように唐軍の陣地に駆け戻っていった。
...畜生、唐の全軍に、そして新しい主君秦王殿下に俺様の強さを見せつけてやるはずだったのに、しまらねえな...
しかし、そんな程咬金を唐軍の将兵は歓呼を持って迎えた。
尉遅敬徳の人智を超えた剛勇は、万人が知っている。
ここまで唐軍は散々に打ち負かされてきたのだ。
唐軍きっての勇将、劉弘基も敬徳には敵わず捕らわれてしまった...しかし、程咬金は敬徳に勝てなかったにせよ、三百合以上打ち合って尚生きているのである。
それ自体が唐軍の兵士たちにとっては賞賛すべきことだったのだ。
...なんだ、こいつらなかなかよくわかってるじゃねえか...
程咬金はたちまち気をよくしたのであった。
...
秦叔宝は、静かに眼前の雄敵に相対していた。
「...末将は姓名を秦瓊、字は叔宝と申す。....尉遅将軍、卿の見事な武勇、しかと拝見させていただいた。願わくば手合わせを願いたい」
決して高ぶることもなく、淡々と話す叔宝だったが、その全身から発せられる圧倒的な闘気を、敬徳は全身で感じ取っていた。
....なるほど、先刻の程咬金が「天下一強い男」と言うも、あながち虚言ではないらしい....
ここで居丈高にかかってくるような男ならば、敬徳としても恐れるものではないが、この静けさ、丁重な物腰....敬徳は生涯改初めて、眼前の敵に対して畏怖を感じた。
「...丁重なご挨拶痛み入る。それがしは朔州の産にて、尉遅恭、字を敬徳と申す田舎者でござるが、秦将軍の御高名は、かねてより伺っており申す」
「河南討捕軍において張大使の下で重ねられた数々の御武勇、遠く北辺の地にまで聞こえておりました。そして張大使のような方が隋朝に多くあれば、隋朝もかほどに脆く滅び去りはしなかったかもしれませぬな」
...今度は、叔宝が敬徳に対して更に認識を改める番であった。
この男、ただ剛勇だけの男ではない。
ただ強いだけなら、同時代にはかつて項羽の再来と言われた楊玄感がいた。
しかし、叔宝は楊玄感に対して怖れを抱いたことはないし、もし戦っておれば己が勝つ自信もあった。
...しかし、この眼前の尉遅敬徳という男は....
張須陀という純臣忠臣の真価を、敬徳は遠い北の地にいながら理解していた。
叔宝は、それだけで百年の知己を得たような思いがした。
...そうだ、あのような方が閑職に追いやられ、最後は使い捨てられて見殺しにされた...
だからこそ、隋朝は滅ぶべくして滅びたのだと叔宝は思っている。
そして叔宝もまた、この雄敵に生涯初めてともいえる畏怖を感じた。
...この男には、負けぬまでも勝てぬかもしれぬ....戦場でそんな思いを抱いたことはかつてなかった。
そして、それ以上に叔宝は敬徳と戦いたくないと思った。
張須陀の価値を理解する男を、敵にすべきではない。
「...張大使への将軍のお言葉、叔宝まさに百年の知己を得た思いでござる。尉遅将軍...将軍は天下の大義をご理解いただける方と見た...であれば、ここで我らが戦う意味がないこともお分かりくださる筈だ」
「隋末以来、天下は麻の如く乱れ、群雄が各地に割拠し、天下の民が戦禍に苦しむこと久しい...一日も早く名君が立ってこの乱世を収め、太平の世を招来せねばならぬことを、将軍もよくお分かりのはずだ」
「...そして今、我が大唐の聖上は仁慈にして大度、その先陣に立って戦われる秦王殿下もまさに雄略大才、当代の英傑でござる。天命の帰する処が何れにあるか、賢明な将軍ならばお分かりにならぬはずがない....どうか、ご主君の定楊可汗(劉武周)と共に、大唐に帰順してくださらぬか」
...しかし、敬徳は静かに首を振った。
「秦将軍のご厚意には感謝するが、その申し出を受けることは出来ぬ。...なるほど、唐主(※敬徳は劉武周に仕えており、李淵を皇帝とは認めない立場にいる為、唐主と呼ぶ)の噂を聞く限り、暴虐の君ではないらしい」
「しかし、仁徳と言うなら我が大汗とて唐主には劣らぬ。将軍もお聞きでござろう...我が大汗は、飢えた民に官庫を開いて食料を配布し、人心を得たのだ。天命が何れに下るか、それは互いの臣下が人事を尽くして後に初めてわかることだ」
そう言われると、さすがに叔宝も言い分があった。
「しかし尉遅将軍、定楊可汗は突厥に臣従されて可汗に封ぜられたのではないか。北狄に臣礼を取る王朝が天下を統一するようでは、それは果たして民の幸せと言えるのか?」
「それは中原に住む者の理屈でござる。例え何者であろうと民が安寧に暮らせる世を作れるのならば、その者に天命が下るのではございますまいか。....こう申してはお気を悪くされるかもしれぬが、唐主とて元の出自は鮮卑族でござろう。鮮卑族であろうと、突厥族であろうと、漢族であろうと、天下泰平の世を作れるものであれば、天はその者の出自、民族にはこだわらぬ筈でござる」