劉文叔は咆哮した。
長剣が一閃するや、伯姫の上に覆いかぶさっていた新兵の首が宙に飛んでいた。
首の切断面から鮮血が噴出して伯姫の頭上に飛び散り、伯姫が絹を切り裂くような悲鳴を上げる。次の瞬間には伯姫は文叔の腕に引き上げられて馬上の人となっていた。
「さ、三哥 !!」
「もう大丈夫だ、伯姫! この文叔が来たからには安堵せよ !」
...
完全な奇襲であった。
劉伯升(劉縯)と劉文叔(劉秀)兄弟率いる春陵軍は、新軍によって完全に横っ腹に奇襲を受けたのである。
中軍に護衛されて最も安全な筈の劉氏一族の女子供、非戦闘員が、無防備に新軍に蹂躙される形となった。
季の妹である伯姫はまさに新兵によって凌辱されようとしたところに、前軍を率いていた三男の文叔が駆け付けたのであった。
妹の上に新兵が覆いかぶさっているのを見た瞬間、文叔の中で何かが弾け飛んだ。続いてほとばしり出た咆哮は、かつて文叔自身も聞いたことがない。
妹を襲っていた新兵の首を跳ね飛ばしたが、新兵が続々と馬上の二人に群がってくる。
文叔は長槍を手に取った。
続いて現出したのは死の旋風であった。
文叔が長槍を旋回させるたびに、新兵の首が胴体と泣き別れになり鮮血が飛散する。
たちまちの内に十数人の新兵が文叔によって、黄泉に旅立つことになった。
「...新賊共、これ以上我が一族を害することは、この文叔が許さん。命が惜しくば早々に退散せよ」
静かに威嚇する文叔の剛勇に恐れをなした新軍の兵たちが後ずさる。
「...三哥 ! まだ中軍後方には二姐(二女劉元。鄧晨の妻)がおられるのです ! 助けなくては !」
背中の伯姫が、必死に状況を説明する。
文叔は一瞬眼前が暗くなったような気がした。
...あの優しい姉、そして三人の娘たち。彼らが新兵に襲われている光景が脳裏にちらついた。
...
西暦22年、新の地皇三年、漢を簒奪した王莽は失政を重ねて人心を失い、雌伏を強いられていた各地の劉氏一族は遂に決起した。
中でも俊英の世評が高かったのが、南陽の劉伯升と劉文叔の兄弟であった。
兄弟の一族は、景帝の子長沙王劉発を祖とする歴とした漢の宗室である。
長兄の劉伯升は早くから王莽の簒奪を憎み、漢王朝の復興を志して大望を抱いていた。
三男の劉文叔は豪放な兄とは対照的な慎重居士として知られていたが、若くして都の太学に学び、兄とは違ったタイプの大器として知られる俊英である。
兄弟それぞれに一長一短があるが、それぞれに補い合う兄弟の声望は高く、漢の復興を志す者達は続々と兄弟の下に結集した。
しかし兄弟が率いる兵力はいまだ少数であり、新は大軍を以て彼ら兄弟率いる春陵軍に差し向けてきたのである。
そして、新にもまだ人材はいる。
南陽太守甄阜は一計を案じ、伏兵を用いて春陵軍に奇襲をかけたのであった。
後漢書斉武王伝によれば、「時天密霧,漢軍大敗」とあり、新軍は濃霧の天候を突いて漢軍...即ち春陵軍に奇襲をかけた様である。
劉兄弟としては痛恨の油断であったのか。
...
次兄劉仲は、中軍で必死に剣を振るっていた。
(兄弟姉妹順は、劉黄-劉元-劉縯(惣領)-劉仲-劉秀-劉伯姫となる。三男三女)
一族の女子供は中軍に護衛されて移動する形になっていたが、春陵軍はその隊列の真ん中を突き破られたのである。
地形が狭隘な場所で、隊列は自然に縦に長く伸びて弱くなる。そこを突かれたのである。
兵法上、最も伏兵を警戒せねばならぬ地形において、痛恨の油断であった。
「二姐(劉元) 、後軍にお引きください ! 衛兵、護衛を !」
劉仲の後ろには、馬車から投げ出された姉劉元とその3人の幼い娘たちがうずくまっている。
しかし、後軍から駆け付けた劉仲の兵よりも新軍の方が数で勝っているのである。戦闘力のない女子供、老人を護衛しつつ後退するのは容易ではない。
そもそも、陣形として縦に伸びた処を寸断されたのである。戦術的に致命傷と言えた。
劉仲麾下の兵たちも、それぞれが多数の新兵を相手にして次々に倒れていく。女子供を助けるどころではない。
そんな劉仲の背中に、劉元の声が響いた。
「二弟(劉仲) ! 妾達女子供の為に大事を誤ってはなりませぬ ! 二弟こそここはお引きなさい ! 」
「な、何を仰せになりますか ! 二姐を置き去りにして、この劉仲一人がどうして逃げられましょうや !」
しかし、斬っても斬っても新兵は虫が湧くように新手が寄せてくる。
元々、劉仲は武芸がそれほど得意ではない。
...
漢軍...春陵軍の兵は、劉元と娘たち、そして破損した馬車の周りに固まって必死の防戦を続けていたが、劉仲の力は尽きようとしていた。
劉元と娘たちを守って脱出しようとしても、新軍の重囲は解けぬ。
劉仲は既に身に数創を受けていた。いずれも致命傷であった。
まだ挙兵したばかりだというのに、大事を成せぬまま俺はここで終わるのか。
二姐も、これでは助からぬ。
周囲を見渡しても、顔を見知った一族の者達が鮮血の中に倒れている。
しかし、大哥と三弟が生き延びていれば、漢軍は必ずや再起する。
俺は平凡な男だが、あの兄と弟は傑出した人物だ。
必ずや漢を再興し、高皇帝(劉邦)の志を継ぎ、新賊を討滅して天下を平定し、万民を安んじることだろう。
その礎となって死ぬのならば、俺と二姐の死にも意味はある。
...
劉仲の意識が途切れかけた時、旋風が巻き起こった。
姉弟と生き残りの漢兵を取り巻く新軍が、崩れ立つ。
伯姫と共に騎乗の三弟文叔と彼が率いる漢軍が、包囲網を切り裂いたのだった。
劉元と娘たちを守っていた兵士たちも最後の勇を奮い起こして新軍に立ち向かい、新軍は死兵と化した漢兵を相手に深追いを避け撤退していった。
ひとまずの危機は去ったらしい...そう感じた瞬間、劉仲の体が剣ごと崩れ落ちた。
....
「二哥 !」
「二弟 !」
「二叔々 !」
劉仲には、もはや姉、弟、妹、幼い姪たちが呼びかける声に応える力も残されていなかった。
前軍から駆け付けて、末の妹伯姫を救った文叔がそのまま劉元親子と劉仲を囲んでいた新軍を蹴散らした後、力尽きた劉仲は死に瀕していた。
二姐劉元と姪を守って戦い続け、既に身に数創を受けていた劉仲はもはや助からぬ...それは誰の目にも明らかだった。
...
二姐、三弟、小妹...すまぬ、俺はここまでらしい。
だが三弟...文叔...お前と大哥(劉縯)さえ生き残れば、漢室は必ずや中興するだろう。
俺は死しても魂魄となり、漢室歴代皇祖皇宗の御霊と共にお前たち兄弟を守護しよう。
俺は魂魄と化しても非力かもしれぬが、高皇帝(劉邦)の神霊は必ずやお前たちを守ってくださるに違いない。
「逆賊当誅...漢室必復....」
それが劉仲の最後の言葉となった。
...
後漢書には、劉仲の死の前後の状況は記されていない。史実の劉仲は、小長安における漢軍大敗、その乱戦の中で誰に知られることなく戦死したものと思われる。
後年、光武帝は長兄劉縯に追贈して斉武王に封じたが、次兄劉仲には何故か王号を追贈していない。しかし、劉縯の次子北海精王劉興をして劉仲の後嗣とした。
尚、三国志の公式には西漢景帝の子、中山精王劉勝(子女が百二十人いたらしい)の末裔とされる季漢の照烈帝(蜀漢の劉備)は、典略には「備本臨邑侯枝屬也」という異説があり、その説が正しい場合、劉備は劉伯升の次男劉興の末裔である可能性がある。ただし、典略が言う臨邑侯が劉興の子劉復かが明確ではない。後漢書によれば臨邑侯は三人おり、典略が書く臨邑侯が誰を指すか不明な為である。
...
「二叔々 !」
劉元の幼い娘たちは叔父劉仲の遺体に取りすがって泣いていたが、その母劉元と文叔、そして伯姫には兄弟の死を悲しむ余裕はない。
新軍は一度は退いたものの、そもそも彼らは反逆者である春陵の劉一族を皆殺しにすることが目的である。
再度、新軍は押し寄せてくるとみなければならぬ。
「二姐は、伯姫と共に馬にお乗りください。娘たちにはそれぞれ兵士を付けて、小弟が護衛しつつ退却します」
文叔は、姉に脱出案を提案した。とにかく今は一刻も早く、この寸断された中軍を前軍か後軍に合流させて、前か後ろに向かって戦線を離脱せねばならぬ。
しかし、劉元は激しく頭を振った。
「なりません ! 妾達女子供の為に、あなたが死地に身を晒してどうします ! 二弟が死んだ今、漢室中興の大業は三弟と伯升殿にかかっているのですよ ! 今ここで最も命を惜しまねばならぬのは、三弟、あなたです ! 第一に騎乗すべきはあなたであって妾ではありません ! 強いて同乗するなら小妹(伯姫)一人です」
「また、多くの兄弟たち(ここで言う兄弟とは漢軍の兵士たちの事)を鄧氏の娘(劉元は鄧晨の妻であり、その娘たちは劉氏ではなく鄧氏の娘)の為に危険にさらしてどうしますか ! いまだ新賊(王莽と新王朝の事)は強大であり、漢室中興の大業を果たす為には、まだ多くの困難が待ち構えているのです。漢軍の兄弟たちは大業を成し遂げる為に一人でも多く今ここを生き延びねばなりません。妾達鄧氏の女子供の為に命を捨てるなど本末転倒です !」
つまり、劉元母娘を置き去りにして逃げよという事である。文叔は絶句した。
理屈はわかる。
理屈の上では姉の言うことが絶対に正しい。
漢軍の目的は漢王朝の復興であり、この場合露骨に言えば、春陵軍の棟梁である長兄劉伯升と三男劉文叔二人が生き延びさえすれば、兄弟以外の一族が全員死んでも構わないという理屈すら成り立つ。
更に言えば、兄弟に次いで伯姫が生き残ることにも意味がある。
伯姫はいまだ未婚であり、政略結婚要員としての存在価値がある。
春陵軍棟梁の同母妹である伯姫が何れかの有力豪族に嫁げば、その一族は春陵劉氏の強力な支持勢力、外戚になりうるだろう。
一方で劉元は既に鄧氏に嫁いで、その跡継ぎ(鄧汎)も生んでおり、これまた露骨に言えば既にその役割を果たし終えているのだ。
ここで劉元と娘たちが死んでも、漢軍の目的には大きな損失は生じない。
ここで劉元と娘たちが死んでも、鄧氏一族が漢軍への支援を辞めることにはならない。
寧ろ鄧晨にとって新王朝と王莽は妻の仇、娘三人の仇という事になり、劉氏一族の外戚だからと言うだけでなく、個人的な復讐の動機も加わるのである。
より一層、劉伯升・文叔の兄弟に忠誠を誓い、共に戦ってくれることだろう。
劉元はそこまで計算して物を言っているのだと、冷静な文叔にはよくわかるのだ。
...
しかし、それは全て政治上の理屈である。
生真面目な文叔には良くも悪くも、高祖劉邦が持っていたような一種異様なずぼらさや冷酷さがなかった。
高祖劉邦は、史上名高い彭城の大敗戦(反項羽連合軍五十六万が、項羽率いる楚軍三万によって粉砕された戦い)で項羽から逃げる際に、自分が助かる為に馬車から娘と息子を蹴り落とす事すらしている。
劉邦には良くも悪くも、その手の異様な、いわば「実に劉邦らしい」逸話が多いが、その子孫である文叔には、その手の逸話が皆無である。
面白みのない男と言えばそうではあるかもしれぬ。
その謹直な男が生涯で最大限、冷徹非情に徹した時があったとすれば、この小長安の敗戦の際であったかもしれない
一つ確実にわかっていることは、この時文叔は姉母娘を置き去りにして、伯姫一人を連れて脱出した、という点である。
...
三叔(三番目の叔父)に置き去りにされた劉元の娘たちは泣き叫んだであろうか
「三叔、置いていかないで」と
娘達諸共に死を覚悟していたであろう劉元は、死に臨んで娘達に言い聞かせたかもしれぬ。
「...お前たちは鄧家の娘ではあるが、この母を通して偉大な高皇帝(劉邦)と漢室の貴い血を受け継いでいるのです。今、文叔殿は伯升殿と共に、新賊に簒奪された漢室を中興する大業を果たそうとしているのです。その大事に際して、今妾達鄧氏の女子供が足手まといになってはなりませぬ」
文叔らを立ち去らせた後、再度新軍が劉元と幼い娘たち三人に襲い掛かったことは記録にある。
4人はその中で死んだ。
4人と劉仲だけではなく、春陵劉氏一族四十人以上が戦死したと伝わる大敗戦であった。
後年光武帝となった文叔にとって、この時姉を見捨てたことは生涯の悔いとなったらしい。
文叔は、自分を逃がして自らは小長安に散った姉に「新野節義長公主」と追贈した。
「節義」の二字に、小長安における劉元の為人が想起される。
長公主とは本来皇帝の長女に対する称号だが、文叔は二女である劉元にその称号を追贈し、後々まで姉に対する祭祀を絶やすことがなかった。